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パルティータ
【SM 官能小説】

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パルティータ-3

自分が欲している女の夢を見ることがある。でもその夢は女の気配であって、彼女の顔でも姿でもない。それは男の記憶としての女だった。女が誰なのかはわからない。あの頃の彼はスーツケースを売る営業マンだった。なぜ自分がそういう仕事をしていたのか、はっきりしないが、おそらく自分の記憶の中にある女性を求め、スーツケースの中に入れて連れ去るために《そういう仕事》をしていたのかもしれないと思っている。それは同時の自分自身が記憶の中の女に封じ込められたいという自慰的な、自虐的な欲望に近かった。あのとき男は女に出会い、スーツケースを彼女に売った。それは彼が目的を達したことを示していた。そして男は恋に悩んだ末に自殺したことになっている。それは自分を不在にすることによって、彼がもうひとりの自分の影を確実に感じるためだった。

夜明けまで時間がある。聞こえるのは時計の針が確実に真夜中に時間を刻んでいる音だけだ。窓を開けると暗闇の中に雨の気配がした。腿のあいだに樹液が滲んでいるのを感じる。きっとそれは、彼が夢精で放出した精液の痕に違いなかった。いったい誰に向かって射精したのかわからなかった。だから彼は女に電話をかけたのだと思った。


…………

突然の深夜の電話だった。
知らない男の声がした。名前を名乗らない男は、女が《かつて自分の恋人》であったという。聞き覚えがある声だった。その声は、彼女が遠い昔にスーツケースを買った男の声に似ていた。いや、ほんとうは似ていると思い込んだだけかもしれない。なぜならその声は二十年前の声であり、男は自殺したと聞いている。

女は電話に向かって黙り込んだまま何も言わなかった。しばらく沈黙が続いたあと、もう一度、男は女の名前を繰り返し、誕生日を言いあて、自分が女の恋人であったことを告げた。女は戸惑った。そんな男の記憶はなかった。女には恋人と言える男性の過去の記憶はなかった。
電話を切ってしまおうかと思ったが、電話の中に漂う重い空気はそれを拒んでいた。その沈黙を針で刺して穴を開け、女の遠い記憶の底を縫うような男の低い声が聞こえたような気がした。それは耳の錯覚かもしれなかった。
覚えているでしょう、ぼくがあなたをスーツケースに入れたときから、あなたのストーリーを吸い込んだことを。
女はいつのまにか電話を切っていた。

男の電話が気になって眠れなかった。男の声の余韻が真夜中の静寂に置き去りにされた女の《どこかにある記憶》をぼんやりと彩る。色彩は濃くなったり、淡くなったりしながら遠い記憶をたどるように流れていくが、女の中のどんな記憶にたどり着こうとしているのかわからない。色彩の変幻は何かを語りかけているような気がするのに言葉は聞こえない。
やっぱり彼はあのときのスーツケースの男だわ………そう思ったとき、男の姿が亡霊のように浮かんでくる。クロゼットの奥に仕舞い込んであるスーツケースを見るのが怖くなった。なぜならその中に閉じ込められて死んでいる自分と男がいるような気がした。

 女はマンションのバルコニーに出ると自分を落ち着かせるように煙草を深く吸った。自分の心や体に虚ろな色彩だけが漂っているのを感じる。なぜか、不意にかかってきた電話の男の《不在感》が女の体の奥をくすぐった。その男に対してどんなふうに自分のストーリーを描いたらいいのか、もし、女が描かなければならないことがあるとしたら、彼女自身の不在のストーリーかもしれないと思った。それはきっとスーツケースを売る男に出会う以前からの彼女の中にある不在の感覚だった。つかみどころのない不在という感覚の記憶は、彼女の影を茫漠と浮かびあがらせていた。


女は三十四歳のときに《誰か》と結婚した。高校の同級生だったK…が紹介した男性だった。K…とは結婚の二年前、再会した。街で彼と出会ったのは、ほんとうに偶然だった。そして彼は女が会うべき男だった。高校生のとき、女は密かに彼に心を寄せていた。それは初恋と言えるものかもしれない。ただ、白樺の林に女を誘ったあの日をもって、彼は女の前から姿を消した。《彼はやっぱりあの場所に現われることはなかった》のだと思っている。彼は学校を退学し行方がわからなくなった。
K…と再会した日、女は彼に白樺の林のことを尋ねた。あの場所に女を誘った男がほんとうにK…であったのか、そしてあの場所がどういう意味を持つのかを。
彼は薄く笑うだけで彼女の問いに答えることはなかった。
その夜、女はK…に特別なところに誘われた。そこは彼と秘密を持つための場所だった。彼は玄人のサディストだった。女は彼と特別な秘密を持つことを拒むことはなかった。秘密は彼が女に与える恥辱と苦痛によって造られた。女はK…によって彼のものとして所有されていくことに酔った。それはスーツケースの中に封じられるという女の記憶の夢想を現実のものとした。女の肉体はK…によって彼女自身がそれまで知らなかった悦びに溺れていた。そしていつのまにかK…と離れられなくなった。その彼が、まるで女を突き放すように、ある男性との結婚を勧めた。それは彼の命令だった。それは女がK…のものであり続けながら別の男に彼女が差し出されることを意味していた。女は彼の命令に従順に従った。


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