休日の性愛-1
「お兄ちゃん、それはこっちの箱」
しのちゃんの畳まれた夏服をダンボールに入れようとしたら、右横から定規と言葉のツッコミが飛んできた。ぺしぺし、と定規でしのちゃんが叩くダンボールには青色のマジックで大きな三角形が書かれている。ああそうか、宮古島とは言え三月四月じゃまだ夏服は早いな、じゃまだ当分使わない物を入れるほうのダンボールか。
引っ越し準備を手伝って。そう言ってきたのはしのちゃんだったけれど、言った当人は現場監督よろしく口と右手の定規を動かすだけで、ダンボールを組み立てたり押し入れから物を出したり棚の上の物を下ろしたりといった実作業はぜんぶ俺の担当だ。しのちゃんがやってくれたのは組み立てられたダンボールに青いマジックで三角もしくは赤いマジックで丸を書くという楽しいお仕事だけ。
「はいお兄ちゃんガムテープ」
あたしだって手伝ってるもん、と言いたげなドヤ顔でしのちゃんが梱包用ガムテープを差し出す。ベッドに腰掛けてゆらゆらと前後に動かしている足の、スカートからはみ出たひざ小僧とふくらはぎが目の保養になって下手なドリンク剤よりも作業に活力を与えてくれてはいるけど、うん、なんだか解せん。
さおりさんたちが宮古島で住む家はまだ決まっていない。向こうのオーナーさんがいくつか候補を見つけてきてくれていてその中から選ぶことにはなっているけれども、とりあえずオーナーさんの店舗のすぐ近くにある倉庫に当面使わないものだけでも先に送っておくことになった。とはいえさおりさんたちもこっちに越してきた時点で結構断捨離してきたらしいので荷物はそう多くはないのだけれど。
というわけで放課後帰ってきたしのちゃんと二人で梱包作業に勤しむ休日となった。まあしのちゃんと過ごせればミラモールだろうと梱包作業だろうと俺的には「こいびと」と過ごす時間としては同じことだ。それに、いくらさおりさんの家とは言っても二人っきり。てことは。
「だぁめ、お仕事終わってないでしょ。ほら、あと押入れの左側」
眼の前のデニムスカートの裾に這わせた俺の右手の甲を定規がぴしゃ、と叩く。すべすべした8歳の太腿の感触が一瞬だけ人差し指の先端を走る。殺生な。
とは言え俺も、得意げな顔をして定規を振り回しているしのちゃんも機嫌はいい。昨日の帰り際に支店長に呼び止められ、出発ロビーの他の社員の耳の入らない場所で伝えられた、異動の件が本社人事部で進行しているという話。もちろんまだ確定じゃないけれど大いなる一歩なのは間違いない。ゆうべ飲みに行ってその話をしたらさおりさんも怡君さんも、わぁ、と喜んでくれた。
「もし異動のタイミングがさおりさんたちとまったく同じじゃなくても、そういう目処がついたのはよかったね」
カウンターに敷いたコースターの上にハイボールのグラスを置いた怡君さんがにっこりと微笑んだ。久々のチャイナドレス、それも、俺が初めて見る、袖が大胆にカットされたタイプ。丸っこい肩と柔らかそうな二の腕がまぶしい。
「大きな一歩だね。お兄ちゃんも宮古島に来てくれるかどうかって、しのにとっても私にとってもすごく大きい。特にしのは、お兄ちゃんがいない生活だなんてもうありえなくなっているから」
グリーンピースがちょこんと乗った焼売を四つ盛ったお皿を俺の前に出してくれたさおりさんもうれしそうにそう言ってくれた。怡君ちゃーん。常連さんに奥のボックスシートから呼ばれた怡君さんが、はーい、と言いながら向かう。俺の後ろを通り過ぎたときにジャスミンっぽい香水の匂いが軽く漂った。あれ、珍しいな怡君さんからなんらかの匂いがするのって。
「いろんなことが現実になっていくと、さびしい気持ちも湧いてきちゃうのよね」
さおりさんが小さな声で言った。
「新しいお店へのモチベーションもすごく湧いてきているし、宮古島での新生活も楽しみ。しののことも、お兄ちゃんの異動が見えてきたから心配はほとんどないの。でもね」
やだーもうからかわないでくださいよー。怡君さんのおどけた声と常連さんたち三人の楽しそうな笑い声が上がったボックス席をちら、と見て、さおりさんが続けた。
「みんなと離れるときが近づいてきたな、って思うと、やっぱりさびしい。オーナーにも怡君ちゃんにもとてもよくしてもらっているし、お客さんたちもいい人ばっかり。自分としののことを考えたら宮古島はベストな選択だと思ってるけど、みんなと離れるのは……やっぱりせつないな」
小さくついたため息の、温かく湿った空気が焼売の皿を抑える俺の左手にかかる。
「まだ一年も経っていないのにねこっちに来て。けど、ずっと地元にいて大学も結婚もして、でもこっちに来て。それが生まれて初めての、いろんな人たちとの大きな別れだったんだけど、もうあんな思いはしたくないな、って。でも、ね」