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花屑(はなくず)
【SM 官能小説】

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花屑(はなくず)-5

わたしの顔から視線を背けた倉橋は、指に挟んだ煙草を咥え、胸の奥底に過去の記憶を深く嗅ぎいれるように煙草を吸うと、店内に流れる静かなバラードを奏でるジャズピアノの音に耳を傾けた。
「あなたは、もしかしたらわたし以上に彼を愛し続けていたのかしら」
「今さらそんなことを聞いてどうする」と彼は平静を装うように盃の酒を啜った。
 愛しているという言葉が彼にとってふさわしい言葉であるのかはわからなかった。
「純粋すぎる芸術的偏愛とでも言って欲しいものだな」と言って彼は小さく笑った。
「もしかしたら自己愛……かしら」そう言ったわたしの目の前に彼が吐いた煙草の煙が気だるく漂った。彼はその言葉を肯定も否定もしなかった。
「わしは女性に対して、どんな性愛の感情をいだいくことができるのかわからなかった。それを知るためにあの青年が必要だった。おそらくきみがあの青年を必要としたように。それはきみにとってもわしにとっても偏愛と呼べるものではないのか」
倉橋の声が宙に澱み、密かな思いをいだくように煙草の煙を深く吸い込んだ彼は、物憂く瞳を閉じた。
「あなたがわたしに望んでいたのは性愛なき偏愛だわ。そして、それはあなたにとって芸術でなければならなかったわ。結局、あなたが溺れたのは、わたしでなく、あの青年でもなく、あなた自身だった。そしてあなた自身の不能の性愛のためにわたしとあの青年は利用された………」

ふたりのあいだにゆるやかな沈黙が流れる。倉橋は黙ってわたしの言葉に聞き入っていた。そしてゆっくりとため息をついた。
「それはきみも同じではなかったのか。わしは気がついていた、きみが自分の心と肉体に意味を持たせたかったことを。そのために青年の記憶を必要としていたのではないか」
 わかっていた。倉橋の不能がわたしとあの青年の像を無理やり造りあげようとしていたことに。わたしは倉橋の言葉を遠くに押しやりながら言った。
「美術雑誌の投稿文のことを覚えているかしら。もちろん匿名で掲載されていたけど、わたしはあなたが書いたものだとすぐにわかったわ」と言いながら、わたしはカウンターの下に重ねられた書籍から一冊の古い雑誌を取り出し、テーブルに置いた。
「あなたはわたしと青年のことを雑誌に書いたけど、残ったのは彼の悲劇だけだったわ……」
 青年は自ら命を絶ったのだった。倉橋の作品が永遠に未完であることを感じた彼は、崖の絶壁から全裸で湖に身を投げたのだった。
わたしは倉橋の煙草の箱から一本取り出し、火をつけると薄い紫煙を静かに吐いた。
ふと店の大きな窓の外に目をやる。樹木に覆われた森閑とした小さな庭にどこからともなく吹いてきた風が桜の枝を微かに揺すると、舞いあがった花びらが雪のように見えた。


――― その美貌の青年をモデルにした彫刻が完璧だと私は思っていたが、同時に制作していた顔のない裸婦像を並べて置いたとき、私はそれらがひとつの作品としては不完全であることに気がついた。裸婦像の臀部に接吻する跪いた青年像。その互いの彫像はやはり不完全なのだ。青年の肉体と顔のない裸婦像は、彼が彼女の臀(しり)に接吻するという性愛の象徴によって互いを完全なものに導いていくはずだった。それぞれは完璧であるのに、並べて置くとなぜか互いの不完全さが朧に浮き上がってきた。でもどこが不完全なのか、どれほど眺めてもわからなかった。私の中に湧きあがる不自然な観想はその不完全さを虚ろに浮き上がらせていた。彫像は青年でありながら私自身が暗喩として表現されていなければならなかった。でも目の前の彫像は青年であって、私ではなかった。そして裸婦像の女は、その青年の像である私の形として表現されなければならなかったが、そうはなっていなかった。
いったい互いのあいだに共鳴する性愛とは何なのだ。その結論を私自身の観想の中に見出せない限り、ふたつの像は不完全のままなのかもしれないと私は思った。ふたつの像に漂う情感の欠如は、私の性的な不能の肉体から迸(ほとばし)る喘ぎそのものだった。自分が刻んだ彫像の中の青年の瞳が私を嘲笑ったような気がしたとき、青年像に対してある種の残酷な思いを私はいだいた。いや、それは残酷さというより、むしろ私が青年に感じた苛立った嫉妬であり、彼に対する苦痛とも言える欲情であり、同時に私が自分自身に向けた自虐の情感とも言えるものだった。



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