アルバイト-1
わたしは千秋の研究室でアルバイトを始めました。仕事の内容は、千秋が研究テーマのために収集した資料を整理する…というものです。バイトとして採用してもらうことが決まった日に、千秋と、その友人の冬美の二人がわたしを食事に連れて行ってくれました。そのときに聞かされたのは千秋の研究テーマが「オナニー」であるということ…。
わたしはとても驚きましたが、落ち着いて話を聞いてみると、千秋の研究テーマは別に「オナニー」がすべて、ということではなく、要すれば「女性の自立」みたいな大きなテーマがあって、その中の小さなテーマとして、女性が男性を必要とせずに快楽を得る手段として見つめてみたい…といったことのようでした。
とは言え、千秋本人ではなく、千秋と同僚の冬美がやや酔っ払いながら説明してくれたものだったので、わかったようなわからないような気持で家に帰りました。いっぱい出された料理を残したらもったいないと一生懸命食べたのですっかり満腹で、アパートに帰るとすぐに眠くなって着替えもせずに寝てしまいました。
翌日、昨日のお礼に千秋の研究室を訪ねました。ノックをするとドアの曇りガラス越しにわたしだとわかったのか、中から千秋の声がして部屋に招き入れられました。
「昨日はご馳走になってありがとうございました」
「遅くまで付き合わせて悪かったね。ちゃんと帰れた…みたいだね」
「はい。美味しいお料理もいっぱいいただいて」
「あのママはちょっと壊れてるけど、料理の腕は確かだからね」
千秋が小さな冷蔵庫からコーラの瓶を取り出して栓抜きを探しているようです。
「あ…、栓抜きならここに…」
机の上の書類に隠れていた栓抜きを千秋に渡そうとします。
「ああ、コーラ飲む? 飲まないか…。ウチの部屋もお茶かコーヒーくらいは出せるようにしないとだめか」
先日も聞いたようなことをつぶやきながら千秋が腕を組んでいます。コーラは千秋が飲む風でもないのでわたしが冷蔵庫にしまいました。
「サンキュ。…で、なんだっけ?」
「あの…バイトに雇っていただいたので、資料の整理のお手伝いなどさせていただければと…」
「ああ、そうだったね。なんかまだ酔いが残ってるな…」
照れ笑いを浮かべながら千秋が床に置かれていた段ボールを机の上にドンと置くと、ガムテープをベりべりと破いていきます。中からいろいろな雑誌を取り出して机に積んでいきます。一見して、その…いわゆるエロ本、エロ雑誌…ということは、わたしにもわかりました。
「とりあえずさ、これ片っ端から見てもらって『オナニー』に関するところをスクラップしてもらえるかな」
一夜明けて、もしかして夢だったのではと少しだけ思ったりもしていましたが、やっぱり聞いたとおりのお仕事のようです。
「写真もあれば小説もあれば、なんだかよくわかんないのもいろいろあると思うけど、とりあえず全部ね」
「…は、はい」
「まあ、もったいぶって言えば、オナニーって言ってるけど、本来、女性が自分の性欲をコントロールするものなのよ。だからセルフプレジャーって言ったりもするんだけど、それが実際は、いかに男の性的興味を満たそうとするものにされているか…っていうところを集めておこうというわけ」
「…は、はい」
「ああ、いきなり切り抜いたりしなくていいから。そこに付箋があるから、関係ありそうなところに貼っておいてくれればいいわ。わたし、ちょっとつまらない会議に行かないといけないから。適当に休憩入れてね」
そう言って千秋は部屋を出ていってしまいました。一人、大量のエロ雑誌といっしょに取り残されてしまい、おそるおそる…いえ、かなりわくわくして雑誌を手に取っていきました。
聞いたことのない言葉も出てきましたが、セルフのプレジャー…だから、まあそういうことなんだろう…と思いました。確かにあくまでもセルフで行うことであって、人に見せたり見られたりするものではありません。
ところが最初に手に取った雑誌は表紙に下着姿の女性が股を開いて笑っていて「オ・ナ・ニ・ー」というタイトルが。人に見せないはずのオナニーが雑誌、しかも表紙に載っていること自体、おかしなことのように思えました。…いえ、それよりも、表紙の女性は、ただ下着姿でいるだけで、オナニーらしきことは何もしていません。とりあえずエロチックな写真にエロチックな言葉を付け合わせただけのように思えます。『セルフプレジャー』だと『オナニー』よりも何だか後ろめたさがないのでしょう。
ページをめくっていっても結局、オナニーそのものの写真は特に出てきませんでした。でも、掌をちょうどおへその辺りにあてている写真は、これから徐々に掌が下に伸びていってオナニーを始めようとしているところ…にも思えます。そんなことまで推察すると自分のオナニーを暴露するようで恥ずかしく…わたしは付箋をつけていいのかどうか迷ってしまいましたが、とりあえず「オナニー」という言葉は出てきたので表紙には付箋を貼っておきました。意外と考えさせられることも多く、1冊目だけでなんだかげんなりしてしまいました。