ミライサイセイ act.3 「残されたもの」-5
あの悪夢のなかで、兄の腕を掴めないのは、きっとそれが兄の望みだったから。
僕を生きさせることが、彼の人生そのものだった。
だけど、それは卑怯だ、と思う。
与えられるだけの生き方は、楽だけれど味気ない。
ましてや返せない恩を置き去りにするのは、卑怯だと。
残された者の痛みは、癒えることなく鼓動を繰り返す。
だから、今、残されているあやを想い、
もし、あやを選んだときの残されるミクを想う。
いつも、この手からこぼれていくものがある。
手にするのは難しいくせに失うのは一瞬で、振り返っても再び見つけることは出来ない。
涙の止まらない僕を見て、
ミクは、一度深呼吸をした。
もう一度。
肩を上下させ、もう一度。
「お願い。あやさんの傍に行ってあげて」
静かに、確かな輪郭を持ちながら、その言葉は生まれた。
「出来ないよ、ミク、僕は、」
「私の幸せは、」僕の言葉を遮って。
「私の幸せは、あきらが笑っていること。ただそれだけ・・・です」
目を閉じた。
ミクと出会った始業式を思い出した。
ミクと歩いた桜並木を心に浮かべた。
ミクと通った大学と、そこにある日々を。
ミクと交わした限りない言葉を。
ミクと触れ合った幻のような夜を。
そして、ミクと過ごしていくはずの、遠い、遠い未来を思い描いた。
「残される痛みは、とても深く、重い」僕は言った。
「どんな時にあっても、私は貴方と過ごした日々を、胸の中で再生することができる」
その凛とした声色に、彼女の決断を悟る。
何て、哀しい彼女の望み。
未来にありながら、過去を再生するという、希望。
「・・・あやのこと、聞いたのか」
「本人からじゃなくて、看護婦さんからですけど」
「本当に、それでいいの?」
「えぇ」
本当に、いいのだろうか。
残されるもの、その苦しみは想像を越えて自身を縛り付ける。
「あきらは自分を許せないのでしょう?」
「うん、許せない」
「何も出来なかったから?」
「そう」
「それなら、行きなさい。あやさんの元へ。彼女のために、私のために、そして何より自分自身のために」
僕はミクの肩に手をかけ、キスをした。
最後の、キス。
彼女の首に下げられた、シンプルなネックレスが揺れた。
「さようなら、ミク。君を心から愛している」僕は言った。
「さようなら、ありがとう」ミクは言った。
それは、夢のなかに出てくる兄さんの言葉に似ていた。
いつだって、そうだ。
失ってから、その大切さに気付く。
けれど、ミク。
君のことだけは、例外だったんだ。
To be continued / by delta