『そしてその歌は世界を救う』-4
…というのは樹の只の妄想でしっかりと次の日学校から帰るとビリッと袋の封を破り取りCDのケースを取り出して今は又母の物と化したCDラジカセにCDを取り出しセットした。
…全14曲入りのアルバムを聴いた樹の感想はというと
『やっぱ外人はええな!!』。という只の強がりを誰も居ないリビングで無駄に大きく言っていた。
正直良くわかっていなかったのが本音だ。
輸入盤なので日本語訳などはついておらず特典としてCDケース内に付属されていたジャケットとデザインが一緒のステッカーを自分の部屋に後で貼ろうと樹は思った。
数日後に母のオーディオの不調の原因は読み取り部分が汚れていたせいでCDが読み取りずらかっただけだというのが母が100円均一で買ってきたCDクリーナーの活躍のおかげで判明し、無事CDラジカセが樹の部屋へと戻ってきた。
毎日学校から帰って来るとなんとなくでそのCDを鳴らしていた樹だったが自分と同じで音楽が好きになったと思いこんで機嫌が良くなっていた母は樹に対してこう言った。
『CDとかならまぁ又買うたるわ』
樹は不思議に思ったが買って貰える事が嬉しいのでそれからも樹は毎日そのCDを聴いた。
1ヶ月もするとお気に入りの曲も増えていき特定の曲をリピート再生して聴くようにもなった。
毎日階段近くに行くと買ってやったと思われるCDの曲が流れているのを耳にしていた母は息子が好きになった事が自分と一緒の物だというのを喜び新しいオーディオデッキを夏休みに買ってやると樹に約束した。
樹は音楽は聴いていると幸せになる物なのだと認識し母にも自分が好きになった音楽を聴いてもらいたくて部屋のドアを少しだけ開け、わざと音が洩れる様いつもそのCDを聴いていた。
これが今の樹のドアを閉じなくなった理由だと言えば嘘でも無くないが、成長するにつれその行為は微妙に意味を変えていった。
母の思考を樹はこう読んだ
息子は音楽をいつも聴いている=息子は音楽が好きだ
息子は自分と一緒で音楽が好き=息子と一緒の趣味は嬉しいからCDを買い与えてやろう
実際そうなのだがCD以外にも母は物を買ってくれやすくなった。
いつしか樹は物が欲しいとドアを少し開け音楽を鳴らして母の機嫌を伺う様になっていた。
樹曰く『音楽を利用したんじゃない。』と言うが誰の目から見てもそれは確実に不純な動機から来ていた事を樹が中学を卒業するまで母はわかっていなかった。
というか現在もわかってはいなかった。
樹の部屋から音楽が流れている事は今は珍しくないしそれを聴いて何かを思う事が母にはなくなっただけであった。
もっと詳しい経緯などがあるのだがこの親子には深い考えがありそうに思わせて実はなかったというのがしばしば見られるので簡潔に言うとこんな感じである。
樹自身も今何かが欲しいからとかではなくなんとなくでやっているのかもしれないが本当の所は自分でもわからない。
ただ母の機嫌が良いのは樹にとっても良い事なのでそこから来る行動なのだと自分では思っていたのだった。