チアガール-1
キャンパスを歩いていていちばん辟易するのが『チアガール』である。いつも数名のボンボンを持ったチアコスチュームの学生が居て、前を通るたびに声をかけられて取り囲まれてしまう。
いつも足早に通り過ぎてやり過ごしているが、ふと、声をかけられているのは通り過ぎる女子学生の全員ではないことに気が付いた。わたしは、通り過ぎるたびに声をかけられていたから、そういうものだと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。
そのことに気付いて、声をかけられないよりは、かけられていたことに安堵感そして優越感を覚えている自分。声をかけるに値するというグループにカテゴライズされていたことに対する、大げさに言えば高揚感…。どのような物差しなのかはわからないけれど、『お眼鏡にかなった』ことがうれしい自分。同時にそんなことに心を浮き立たせる自分への嫌悪も覚えつつ…だけれど。
せっかくこの大学に入ったのに、何を好んで、チアガールの衣装で人前で脚を上げたり、常に笑顔を作って(と自分が勝手に思っているだけだけど…)、他人のスポーツの応援をしなければならないのか…というのが正直な気持ち。そもそも、あんなに高く脚なんか上げられないと思うし、他人と動きをピッタリ合わせる、というのも不得意。ぜんぜん自分のガラじゃない…というところ。でも、声もかけられないよりは、声がかかったことはうれしい…。
矛盾する気持ちのまま、声をかけられないぐらいに離れたところのベンチに座って、チアリーディング部(?)の勧誘活動を眺めている。薄ら寒い日だと言うのに、脚も太腿も惜しむことなく露出している…。あえて『見せつけている』ような衣装や振り付けであるようにも思える。やっぱり、あのような衣装で人前で踊っている自分は想像できないと、改めて思う。
男というものは、ああいうパフォーマンスを目にすると、俄然、勇猛果敢に相手と闘えるようになるのだろうか。ただ気が散るだけのような気がするが。女のほうも、純粋に(頑張って!)という無邪気な気持ちでいるだけでは済まないような感じ…。『応援したい』という気持ちがない訳ではないのだろうが、『応援』の名を借りたパフォーマンスに過ぎないようにも見える。『パフォーマンス』という言葉は自分の辞書に載っていないわたし。近づくべき領域ではないのだろう…とやっぱり思う。
高校生の頃から思っていたけど、やっぱり『華のある子』とない子がいるのだ…と『華のないわたし』は思う。高校でも、どこかの部活が大会を勝ち上がって、急遽、応援団がつくられたことがあった。『華のある子』がそろってチアリーダーになって、グランドだかスタンドだかで跳ね回っているのを眺めていたのを思い出す。
『華のある子』は校内の色恋話でも常に主役。誰誰とキスしたとか、なにしたとか、さらになにしたとか…。歳は同じ、身分も同じ『女子高生』でありながら、オンナとしての経験においてどんどん引き離されていく自分のどんよりした感じが疎ましく、経験をどんどん積んでいく子が羨ましく、そして悔し紛れにやや蔑みもしていたように思う。そんな思いを、わたしと同じように華もなく地味なクラスメイトと共有しながら、自分たちは勉強するぐらいしか取り柄がない…などと話していたことを想い出した。
「あの子たち、ああいうの好きなのかな」
「好きでもなかったら、あんなのできないでしょ…試合も見ないでただ跳ね回ってるだけのように見えるけど」
「そうそう。応援でもなんでもないわ。ただ跳ね回ってるだけ。お祭りのときに酔っ払ったお父ちゃんがお盆1枚持って裸踊りしてたの思い出して、なんや恥ずかしいわ」
「あははっ! おじさんの裸踊りと一緒にされちゃぁ、立つ瀬がないねぇ。まあ、ええやないの。結構だねぇ。若さはじけて。」
「クスッ。なに? その言い方。なんか皮肉っぽいね。笑」
「そう? わたし、決して、羨ましがったりしていませんけどぉ…。笑」
「そうそう。わたしたちはダイヤの原石。磨いていないだけ。笑」
今夜あたりクラスメイトに手紙でも書いてみようか…。そんなことを思ったところで、勧誘活動しているチアリーダーたちが声をかけているのが、おそらくは新入生だけであることに気付く。
(あきらかに新入生…という野暮ったさが声掛けの基準…)
声をかけられたことに自分で勝手に舞い上がってもいたが、活動の趣旨からすればごく当然である。手紙を書くよりも、ファッションセンスを磨くのが先だろうか…。地方から出てきた身にはハードルが高い…。
「あの…こんにちは」
ベンチから腰を上げたところで不意に声をかけられて驚く。『ある・なし』で言えば明らかに華のない子がチラシを顔の前に突き出す。
「『超常現象研究サークル』です。よろしければご一緒に活動しませんか?」
わたしはこわばった笑顔でその場を離れる。
(『超常現象』か…)
ふと、チアリーダーになって人前で踊っている自分を想像する。