お客さん来ませんね-1
「お客さん来ませんね〜」
受付嬢と清掃係を兼ねている従業員の若い女性が主人のゲールに言った。
「うん、そうだね」
「そうだねって、今月、お給料ちゃんともらえるんですか？」
「たぶん。今まで、誰も来なかった月はないから」
ターレン王国の辺境から王都へ通じている煉瓦の敷石が続く街道のことは、蛇の道と呼ばれている。
緩やかに長く曲がってのびる煉瓦の敷石が蛇の鱗に見えるからというのが、蛇の道と街道が呼ばれている理由らしい。
客が来ないとぼやいて退屈そうにしている若い女性の従業員と、３０代半ばの宿屋の主人ゲールのいる青蛙亭は、この蛇の道の宿場街と王都トルネリカのちょうど中間に、ぽつんと一軒だけある宿屋である。
日が暮れると、周囲に村もないので、青蛙亭の明かりだけが暗闇のなかで、星のように浮かんでいるような光景となる。
「お給料が払えなくても、食事だけはなんとかするから」
「また、ふたりで小川で釣りですか？」
「天気も明日は良さそうだし」
はぁ〜っとため息をついた若い女性従業員は、青蛙亭の主人ゲールのおっとりした口調に危機感が足りないと思い、キッとにらみつけてみた。
「え、あ、エレン、釣りが嫌なら、山菜取りもいいよ、うん」
「この場所、宿屋に向いてないんじゃないですか、近くに村もないですし」
「なんにもないから、うちに泊まってくれると思うんだけどな」
「ゲールさん、なんにもないってことは王都から人が訪ねて来ないってことですよね？」
「用事の帰り道の途中で、日が暮れるかもしれない」
だめだ、やはり危機感が足りないとエレンは、ゲールの返事を聞いて思う。
１０年前は、旅商人が辺境で作った果実酒などを仕入れして、王都やもっと先の伯爵領まで売り歩いていた。だから、青蛙亭には旅商人たちが泊まって、それなりに繁盛していたらしい。
最近は、獣人族の旅商人の姿をまったく見かけなくなった。
なぜかエレンは主人のゲールに聞いてみたことがあるが、ゲールもよくわからないと首をかしげていた。
「まあ、今はゼルキス王国で商売してるのかもしれないし、また来るようになるんじゃない？」
たしかに毎月、客がまったく来なかったということもないし、エレンの給料がいちおう払われてはいる。
正確には、宿屋の利益からは払われていない。この宿屋には、地下室があって、そこから無断で出国して、ギルドから依頼を受けたゲールとエレンが報酬として受け取ったお金で、毎月の食費や雑費をやりくりしている。
王都よりも、宿場街や小さな村から食材やランプの明かりの油などの必需品を買ったほうが安い。
「もう、ターレン王国にいないで、平原地域とかに住んだほうがいいんじゃないですか？」
「だめだよ、安全第一だから」
エレンが青蛙亭に、救助されてきたのは２年ほど前の話である。
（くっ、騙された、あいつら、私をおとりにして……まずい、まずい、まずい）
４人編成のパーティーを組んで、洞窟が入口になっているダンジョンを目指していた。まさか、ダンジョンに到着する前に周辺にグールが洞窟の外まで徘徊している情報や噂を、エレンは聞いていなかった。
（あいつら、知ってたんだ。だから私をパーティーに誘ったんだ）
グールは人喰いの怪物、といっても腐敗していないと、そこらで見かける鳥や獣と変わらない見た目をしている。
グールは、攻撃されて傷口ができても治癒しない。そのまま蛆がわいたり、腐敗していることがある。
グールの最悪な特徴がある。餌として、人間を襲う時には、女性や子供を好む。
大人の男性と女性がいれば、女性を判断して狙って襲ってくる。
単体行動しているグールと、群れのグールが存在する。
例えばネズミのグールは十数匹で行動していて、野良猫のグールは一匹で狩りをする。
「はははっ、ダンジョンの中でグールが発生しているだって？」
酒場で３人のハンターたちに、一週間前にエレンは探索に誘われた。
ギルドのダンジョン探索は最低３人か４人の申請を出さなければ、受けられない依頼がある。
たとえば街から、１０日以上離れた村に手紙を届けるという依頼はひとりでも受けることができる。
届けた相手の髪の毛でも眉毛でも体毛を一本抜いてもらって、木箱にふれさせることでふたが開く。中には手紙や何か品物なりが入っている。
箱を無理にこじ開けたり、破壊して中身を奪う者もいるが、木箱が破壊されるとギルドで把握できる。
届けたと偽って埋めたり、適当な場所に放り出したらやはりすぐにわかる。届けるハンターは、必ず１日に１度でもふたを撫でなければならない。依頼を受けたハンターが撫で忘れた場合は、箱は依頼者が申請したギルドの支部に勝手に帰ってしまう。
依頼者が金持ちなのか、ごく普通の村人なのかは、ハンターに教えられない。
依頼者がわかると小箱の中身が金目の品物だと判断されて、破壊される割合が上がるとのことだった。
こうした違反行為をした場合は、ハンターが預けている貯金から罰金が徴収される。違反が続けば、平原地域の１２国では、お尋ね者として、賞金がかけられてしまう。
「俺たち３人でも行けるんだけどさ、やっぱ、女の子がいるといないでは、やる気がちがってくるからさぁ」
「誤解されるだろう。そんなに危険だとは聞いていない。４人でいたほうが、もしもの時に、ダンジョンから脱出できる可能性が上がる」
ダンジョンから緊急脱出できる金属製のメンバーカードをそれぞれ持っている。たとえば、ダンジョンでひとりでもはぐれたら、パーティーの誰かが緊急脱出を行えばダンジョンの入口にパーティー全員が同時に脱出できる。
４人パーティーで、３人が動けないほどの重症でも残りひとりが緊急脱出すれば４人でダンジョン入口まで逃げられる。だから、パーティーの人数はダンジョンの通路で動ける人数だけいたほうが安全なのてある。