婚姻儀式祝福魔法とパンケーキ-9
リーフェンシュタールの記憶の解放に一番適した場所が、トレスタの街から近いペオル村で良かったとヘレーネは儀式の準備を進めていて思った。
ストラウク伯爵から地脈・水脈について教えられた知識を用いてヘレーネは結婚式の準備を進めてきた。
ペオル村では、3組の新郎新婦のために初夜を迎えるための家を用意してくれていた。
ヘレーネの腕の上に重ねられているリーフェンシュタールの長い指の繊細な手や指が、ローザの手に変わっていく。
肉体の変化が起こり始め、リーフェンシュタールの前世の記憶が解放されていくのを、ヘレーネは目を閉じて一緒に感じている。
ローザの記憶がすべて解放された時、リーフェンシュタールは、前世のローザの肉体へ自分の意思で自在に変化することができるようになる。
子爵シュレーゲルに、刺客から狙われるヘレーネのふりをする女性は誰かと質問されていたが、その答えはリーフェンシュタールの恐怖の記憶を克服させて、ローザの肉体へ変化したリーフェンシュタールが、ヘレーネのふりをするという作戦なのだった。
床に両膝をついてうなだれたリーフェンシュタールが、前世の記憶のおぞましい淫らな夢から目を覚ました時は、ベッドの上で全裸で仰向けに寝かされ、ヘレーネに添い寝されていた。
「ヘレーネ……なのか?」
リーフェンシュタールは、自分の声がローザの声になっていることや、身をよせて添い寝している女性の姿が褐色の肌や黒髪なのは同じでも、見慣れたヘレーネの姿ではないことに困惑して、身を起こした。
「おかえりなさい。過去の記憶の旅は終わったわね。私はヘレーネだけど、今夜は特別にリィーレリアの姿で可愛がってあげる。私も変身できることは、みんなには内緒にしておいてね」
翌日、トレスタの街へ戻る馬車の中で、カルヴィーノとシナエルが、リーフェンシュタールが前世のローザの姿に変身したので驚いて言葉を失っていた。
馭者席にはザイフェルト夫妻が手綱を握り「誓いの丘」が夕日に染まる美しい光景をながめながら馬車を走らせていた。
「シナエルがフリーデのふりをしなくてもいい。私がフリーデになりきる。カルヴィーノ、子爵シュレーゲルでは本物のザイフェルトほどの腕前はない。護衛についてほしい」
「ローザ……俺は今度こそ貴女をこの命に誓って守ってみせる」
カルヴィーノが、声を震わせてローザの姿になったリーフェンシュタールの膝に置かれた手の上に身を乗り出して手を重ねて涙目になっている。
リーフェンシュタールは、カルヴィーノの顔をまっすぐ見つめ、微笑を浮かべていた。
シナエルに英雄シモンとローザの悲恋の物語をヘレーネが語り終えると、シナエルがぽろぽろと大粒の涙を流していた。
リーフェンシュタールは、変身を解いて凛々しい貴公子らしい姿へ戻っていた。
シナエルにリーフェンシュタールはハンカチを差し出した。
「ふぇぇっ、リーフェンシュタール様、私、ずっとカル君に美味しいごはんを食べさせて大切にしますからぁ」
「シナエル、カルヴィーノのことをよろしく頼む」
「はいっ! ありがとうございます」
ハンカチを受け取りシナエルが涙を拭っていると、ヘレーネはカルヴィーノを手招きして顔が近づくと囁いた。
「英雄シモン、シナエルと結婚したのだから、浮気は許さない。手を出したら、ローザを殺すわよ」
カルヴィーノが真顔で、微笑するヘレーネを見つめた。刺客よりも危険な敵が、リーフェンシュタールの隣にいることをカルヴィーノはこの瞬間、背筋に冷たいものが走ったような恐怖を感じて、理解した。
アルテリスが性悪女とリィーレリアのことを呼ぶ。魅了するだけでなく、相手の弱みにつけこむぐらいは平然とする。
ヘレーネは美女というより、美少女に近い容姿で、いかにも清純そうな乙女の姿なので、さらに恐怖を感じる。
「ザイフェルト、とてもきれいね」
「ああ、そうだな」
「私が画家なら良かったのに。そうしたら、この丘の絵を描いて家に飾るわ」
「フリーデ、目を閉じれば絵を描いて飾らなくても思い出せる。別の場所で二人で夕焼けを見るたびに思い出すだろう」
「ザイフェルト、貴方はたまに詩人のように素敵なことを言うのね」
ザイフェルトはフリーデに見つめられているが、目を合わせない。照れ隠しをしている夫の横顔を見て、フリーデが微笑みを浮かべていた。
リーフェンシュタールの前世の記憶の恐怖から解放することで、護りの巫女としてリヒター伯爵領の浄化の力をさらに高め、前世の姿に変身する能力を与えた。
それは、前世で蛇神の神官たちを討伐した英雄シモンの能力を引き出すためでもあった。英雄シモンの力は、カルヴィーノの中で解放されずに封じられている。
前世で、ローザの命を救えなかった後悔の思いが能力の解放を妨げているのか、
それとも別の要因があるのか、ヘレーネには判断が難しい。
リーフェンシュタールの護りの巫女の力が復活できるなら、英雄シモンの祓魔師の力を引き出すことができるはずだとヘレーネは考えていた。
ストラウク伯爵領に近いリヒター伯爵領でさえ、リヒター伯爵の身に危険が迫っていた。
異変はターレン王国の各地で起き始めているだろう。ヘレーネはもっと動かせる手駒がなければ、勝ち目がないと思っていた。
リィーレリアが旅をしていた時代に、パルチという賭け事が流行っていた。
パルチは、地図の上に駒を置き領地を奪い合う遊戯。戦場の小地図と街や村の駒を置く王国の大地図がある。10年から30年の期間の間に3分の2の領地を2年間統治の維持した者が勝利する。期間を過ぎて統治者がいないと、賭け金は親の総取りとなる。
2年間の統治期間があと1年というところで、戦場の1戦で敗れ、領地の一部に小さな村を作られ3分の2の領地の維持を崩されることがある。
街を増やし税収を上げることに専念しすぎると、戦場へ派遣する騎士の駒が不足する。