預言者ヘレーネ-5
湖に巫女を入れたはずの石棺を沈めた蛇神の神官は、夫と自分の産んだ娘が裏切り、生贄の少女を逃がしたのに気づいて激怒した。
蛇神を別の娘を捧げて欺いた者に裁きを下すと、信者たちを連れて、山へ逃げた夫と生贄の娘を神官の妻は追跡した。
身代わりになり湖に沈んだ姉のほうの娘を、蛇神の神官は後継者とするつもりだった。生贄になる妹のほうの娘は、山の民の女性が産んだ娘だった。
湖のまわりの民はスヤブ湖を、山の民は双子山を崇拝していた。
裏切って山へ生贄の少女を連れて逃げた
夫は、蛇神の神官の妻と信者に捕らえられた。生贄にされかけた山の民の血を継いでいる少女は、山奥へ逃げて山の民たちに保護された。
それでも、同じ7歳の女の子を捧げたのだからと湖の民は思っていたが、次の生贄の儀式までの7年間に湖のまわりの村人たちに祟りの兆候が起こり始めた。
儀式の娘をすり替えた男を、蛇神の神官が両目を潰したが生かしているからだと信者たちは、目を潰された男を勝手に殺して遺体を湖に沈めて捨ててしまった。蛇神の神官には、目を潰された夫は牢から逃げたと嘘をついた。
蛇神の神官の女は、夫である男を探すために信者たちと密かに交わり、湖に信者たちが沈めたのを聞き出すと、満月の夜に交わった村人の男たちに呪詛をかけ、湖に身を投げた。
「蛇神の神官の呪いで、呪われた村人の信者の男たちが全員死んでも、まだ神官の呪いは終わらなかった」
身投げした蛇神の神官は、村で産まれてくる女児を7年おきに湖に捧げ続けるように呪いをかけた。
満月の夜になると村人たちは眠ったまま翌朝まで交わり続けた。血のつながりがあっても関係なく交わった。翌朝になって気づいても、満月の夜の過ぎたあとには、村の女性のうちの誰かが孕んだ。
7年おきに蛇神の神官がいなくても、蛇神の祟りのためか、村から女性や少女が失踪した。そして、満月の夜以外は男性たちは萎え、満月の夜になると、ふらふらと女性を襲い、残った村の女性たちと子種を出し尽くすように交わった。村の誰かの子を孕んだ女性は、娘ばかりを産んだ。湖の周辺の村では、男児が産まれてこななかった。
そして、女性たちがひとりずつ失踪していた。湖から蛇が這い出して犯しながら引きずりこんでいた、湖から呼ぶ声に誘われた……いろいろな話があるが、共通しているのは女性が必ずひとり湖に引きずり込まれることだった。
「その時に別の土地から来たストラウク様の御先祖様たちが訪れたのですね」
「そうかもしれない。正確に書き残されている話ではなく、語り継がれている昔話だから、たぶんそうであったのかもしれぬとしか言えないがね。あと山の昔話には、眠っている若い女性の陰部や肛門に蛇が入って犯されて、やがて蛇との交わりの虜にされて、蛇の子を何人も孕まされたというおそろしい昔話もある」
ヘレーネはストラウク伯爵の話を聞いて蛇を見かけたら怖くなりそうだと思い、想像して鳥肌が立った。
「蛇が嫌いになりそうです」
「蛇神の祟りを鎮める儀式がスヤブ湖で行われていたことや、それが嫌になったか信じなかった人たちは、山で暮らしていたらしいことがわかる。でも、山でも蛇が女性を犯す昔話が残っている。ターレン王国は、蛇神を信仰していた神官から土地を奪って建国されたという歴史があるが、昔の人たちから、蛇神が淫らでおぞましい神で、生贄を求める神だとおそれられて祀られてきたことがわかる」
「蛇神……そんなおそろしいものが本当に存在するのですか?」
「湖のそばの村では、上半身は槍を持った美しい青年だが下半身は蛇の石像が、家を建てるときに掘り出されたことがある。バーデルの都から、酒を買いつけに来た商人が村人から譲ってもらって喜んで持っていったよ。たまに見つかって、魔除けの像として高く売れるらしい。湖の村の者からすると、こわい昔話を思い出して、手のひらぐらいの大きさの石像を気持ち悪がっておった。買っていった商人に、蛇神の祟りが降りかからないか心配しておったよ」
ストラウク伯爵は知らないことだが、スヤブ湖の村から見つかった石像は、バーデルの都の親衛隊の隊長室の祭壇に飾られた。親衛隊員になる者は、石像の前で蛇神の信者として、シャンリーの手の指先を舐めるという忠誠を誓う儀式を受けて入隊することになった。
石像をバーデルの都へ持ち帰った商人は、暴徒鎮圧の混乱に巻き込まれ行方不明となっている。
「言い伝えのこわい昔話のように、この土地では村人の男たちは、ものが勃たなくなっておる。湖に引きずり込まれたりすることはない。こわがっていても、しっかり魚を釣ったりして食べている。夜中にふらふらと眠っているあいだに、村の女性を襲ったりもしていない。御先祖様の生きていた時代のように戦が起きたりしなければ、これ以上の異変は起こらないかもしれぬ。そう思いたいのだが、不安ではある。ヘレーネ、悪い女の子のところには、こわい蛇神が来てスヤブ湖の中に連れていかれてしまうから、ベルツ伯爵領に帰らなくても別の土地へ行きなさい……と言っても、レチェがいるから平気ですよ、とか言いそうだね」
「はい。大昔にはターレン王国のどの土地でも、もともと蛇神を信仰していたとおっしゃいました。私はどこに逃げればいいとおっしゃるのですか。それに、ストラウク様がいたら、蛇が来ても追い払ってくれますよね?」
「ヘレーネ、蛇とは何の喩えだかよく考えてみなさい。人の心には、淫らな快楽を望む情念もある。蛇神の祟りの昔話は蛇神の神官が淫らな情念から、自分の産んだ娘は生かして腹ちがいの娘を生贄に捧げようとしたり、裏切った男の両目を潰しても殺さずに生かして飼ったり、身投げするときには怨念を抱いて呪いをかけた。愛情が嫉妬や執着から怨念になることもある。だから、蛇神の祟りの昔話はおそろしいのだよ」
ストラウク伯爵は、人が情念に動かされて起きた出来事のこわさについて、昔話を語り聞かせながら考えていると、ヘレーネにはわかった。