姉に似た助手-2
次の日、お礼を言おうと「研究棟」に行ってみると、栗色のショートカットの女性に会いました。
「アレ、こないだの”○子の妹”じゃない。昨日だっけ?」
「おとといです…」
「あれ、一昨日だったっけ。それにしても、どうかしたの?」
「あの、一昨日、ここで学生証を落としてしまって…」
「あー、はいはい。お礼でも言いに来たの? いい子ね。連れてってあげるわ」
階段を上がってある部屋の前に連れて来ると、ドアを(こんこん…こん)と調子を付けてノックします。
「どうぞ〜 昨日の続き〜?」
あの人の声がします。
「『◇◇』が来たよ、『○子』」
「あのねぇ、わたし『○子』じゃないってば」
「あ、あの、昨日は、ありがとうございました」。
「何よ。お礼なんかいいのに。昨日さんざん聞いたし」。
「す、すみません。これ、お礼です」。
「そんなのいいのに…あ、白梅堂の最中じゃない。あんたセンスいいね」。
「そうなんですか? 偶然ですっ。わたしのアパートの近くにあったので」。
都会で暮らし始めてからというもの、その日その日の出来事を上の姉に電話していました。
「そんな人が大学にいるなんてね…。でも親切な人でよかったじゃない」。
お礼に渡した和菓子は姉のアドバイスで用意したもので、白梅堂というのはアパートの最寄り駅の駅前のお店で、最中を選んだことも含めてまったくの偶然でした。
「へー、あんた◇◇町なの? ○○線で一緒だね。遠慮なくもらっとくわ」
「昨日の精算、忘れてたわ。にーごーでいい?」
栗色のショートカットの女性が声を掛けます。
「それ飲み代の割り勘でしょ。ホテル代は?」
「あ、そっか。足りないからとってくるわ」
栗色の髪の女性が部屋を出ていきます。
「ったく…。滅多に人なんか通らないからって言うから、こっちも気を許したのが悪かったなあ…。びっくりした? 学生証落とすくらいだからびっくりしたか…」
「い、いえ。す、すみません…」
「なんで謝んの? ふふっ」
部屋を出てドアを見ると〈○○学部 助手 安西千秋〉という札が貼ってありました。(『千秋』さんって言うのか。名前まで「○子」じゃなくてよかった…のかな?)。
ほっとしていると、一昨日の光景が思い出されてきました。ついさっきの二人の会話も反芻しながら、顔が真っ赤になっていくのがわかりました。
(『ホテル代』って言ってたけど…『モーテル』みたいなものなのかな…)
二人が裸になって最中を食べている二人を想像してしまいました。
その日、アパートの最寄り駅に下りると「白梅堂」の前を通りました。千秋が、思いがけずこの店の最中を歓んでくれたことを想い出しました。そういえば、電車の路線が一緒と言っていました。○子姉が、自分にそっくりな人が住んでいる街の沿線にアパートを見つけてくれたことに奇遇を感じました。電車の中やターミナル駅の混雑の中でも、背が高い彼女ならすぐに見つけられそうな気がしました。
でも、以来、ばったり会うこともなく時間がたってしまいました。もう一度会いたいと思う気持ちが募ってくるのを感じながらも、なかなか研究棟には近付けないでいたそんなある日。掲示板を見ていると1枚の貼り紙に目が留まりました。
(アルバイト募集 資料整理 一日2時間程度 時給は学内基準のとおり ○○学部研究棟1号館 安西まで)
あの女性がアルバイトを募集しています。貼り紙の隅に押された日付印をみると、一昨日から貼ってあるようです。
(もっと早く気が付けばよかった…)
そう思いながら、千秋の部屋を訪ねました。部屋の前で声をかけると、ドアが開けられ、千秋が顔を見せました。
「どしたん?」
一瞬、驚いたような顔を見せます。
「あの、掲示板の貼り紙を見て…」
「バイト希望なの? まあ、入って」
「失礼します…」
「そこにでも座っといて」
そう言うと、どこかに電話を掛けます。
「ああ、わたし。バイト募集の子、来たよ。”○子の妹”のあの子」
しばらくすると、ドアがノックされます。
(こんこん…こん)
栗色の髪の女性が入ってきました。
「久しぶりね。キャンパスライフをエンジョイしてましたかぁ?」
手には、掲示板から剝がしてきたと思しき紙を持っています。
「採用決定でしょ、千秋。貼り紙剥がしてきたから」
「そだね。サンキュ。…さてと、この部屋、お茶とかないんだよね」
そう言いながら、千秋が小さな冷蔵庫から缶コーラを出してきます。
「ありがとうございます…」
「バイトを募集してるのはわたしたちでさ。まあ、集めた資料を整理したりしてもらう、っつう軽作業なんだけどね」
「はい…。田舎から出てきたのでアルバイトとかの経験がないのですけど…」
栗色の女性が噴き出します。
「経験なんて必要ないない。面白いこというよねえ。アルバイトはアルバイトだけど、まあ、1日2時間くらいここにきて、茶飲み話でもしていってくれたらいいのよ」
「そうなんですか?」
「まあ、都合があればできるだけ都合つけるし」
「千秋が話してたのよ。あの子来ないかなぁ、なんて。よく来てくれたわね」
「はあ…」
話についていけず曖昧な相槌を打っています。