ジェラシー-3
「お兄さんすみません、何度も一日中……」
ぱたぱたぱた、という足音とともに聞こえる声に顔を上げると、綾菜ちゃんの母親が開いたドアからこちらに早足で来る姿が見えた。
「ほんとうにもう……なんてお礼を言ったらいいか……綾菜、我儘言ったりしてご迷惑おかけしたりしませんでした?」
「いえ、そんなことはぜんぜん」
俺も思わず立ち上がって、綾菜ちゃんの母親に頭を下げる。視界の隅で、綾菜ちゃんがあきらかに不愉快そうな表情をしているのがわかる。
「もうすぐ全部終わります。僕なんかが見なくても、綾菜ちゃんたぶんひとりで大丈夫だったと思いますよ」
「そんな……お兄さんに見ていただかなかったら、月曜日までにとても終わったかどうか……ほんとうにありがとうございます、あの、これ、つまらないものなのですけれど……」
綾菜ちゃんの母親が百貨店のショッピングバッグを両手で差し出す。
「いえ、そんな……」
「もうほんとに、こんなお礼しかできなくて……あ、そうそう、いつでもこのお店、来てくださいね。お兄さんにはドリンク、サービスさせていただきますので……あと、お兄さんはお酒は飲まれます?」
「え、ええ……」
「じゃあ、もうひとつのお店にもぜひ来てください。結構いいお酒選んで揃えてありますので……綾菜、ちゃんとお礼、言ったの?」
ものすごくふてくされた表情の綾菜ちゃんが母親を睨む。
「綾菜っ。もう……反抗期でどうしようもなくて。お兄さんみたいなやさしい人が本当のお兄さんでいたら、もうすこし素直になるのかしら」
いやあ、その言葉、しのちゃんの耳にどういうふうに届いているんだろう。カウンターの中にいるさおりさんに、突如打たれ始めたピッチャーがベンチのピッチングコーチを見るときのような救いを求める視線を送る。角度的にしのちゃんの表情が見えているさおりさんは、こらえきれないような笑みを浮かべながら両方の人差し指を頭の上にツノのように掲げた。やれやれ、しのちゃんそうとう不機嫌になっている様子だ。
宿題が終わった綾菜ちゃんは、さっきまでの甘い笑顔が嘘のような仏頂面で荷物をまとめた。母親によると、母親の両親 ―綾菜ちゃんの祖父母だ― が遊びに来て四人で食事に行くことになったとのことで、それを聞かされた綾菜ちゃんのむくれた表情は、あのジュニアアイドルがDVDの中で見せたデートの相手が約束の時間に遅れた体の芝居のときの表情に瓜二つだった。
母親と一緒に店を出る綾菜ちゃんを、俺とさおりさんがドアで見送る。しのちゃんはこっちを見てはいるけれど、スツールから下りてはこない。
ちゃんとあいさつしなさい、と促された綾菜ちゃんは、ごく一瞬母親を睨み、それから俺に視線を向けた。そして、びっくりするくらいかわいらしい笑顔になる。
「お兄ちゃん、宿題教えてくれて、ありがとう。大好きっ」