カルテ1 藤堂倫 27歳 新聞記者-2
・・・10時間前・・・
昼休みをつげるチャイムを文芸部で聞いた。
大きく背中を伸ばし集中した神経を開放していると、木製扉を開け婚約者の黒木明が入って来た。
倫を昼食に誘うためだ。
だが、今日はどうにも心が重く体調を理由に誘いを断った。
何か言いたげな表情を見せた後、黒木は部屋を出て行った。
黒木明は政治部所属の将来を嘱望されるエリート記者だ。
ふたりが婚約したことは社内に知られていることで、教養と美貌を兼ね備えた才色兼備の倫と将来を約束された黒木のふたりは誰が見てもうらやむカップルだった。
現に昨日までは倫もそう思われることを喜んでいた。
だが今日は違った。
デスクに両肘をつき、顎を乗せた倫は自分自身の分析を始めてみる。
昨夜、ホテルへ誘われた。
結婚を約束してひと月が過ぎ、始めてのことだった。
都内で軽くパスタを食し、黒木の運転するBMWは郊外へ向かった。
渋谷から東名高速に乗り神奈川県に入って高速を降りたBMWはラブホテルの駐車場で停車した。
断る隙がなかった。
いや、断る気持ちも無かった。
部屋に入ると、黒木は妙に明るく振舞った。
切れ者で通ったエリート記者は姿を隠し、道化者と化した黒木だった。
きっと、心のあせりを隠すためだったと倫は理解する。
対照的に自分は妙に落ち着いていた。
きっといつかはこの日が来るのだからと覚悟ができていたからかもしれない。
あるいは黒木を見下していたからだろうか。
黒木がぎこちなくシャワーを勧めた。
お先にどうぞと言おうと思ったが、勧められるままにシャワーを使うことにした。
そんな倫に対し、ヘラヘラ笑うだけの黒木を軽く軽蔑しながらバスルームに向かった。
蛇口を最大に開いてバスタブに湯をはりながらシャワーを浴びた。
スラリとした長身に張りのあるバストとヒップがついている。
バスルームはガラス張りだから、きっと黒木は見ているだろう。
だが、かまうことなくのびのびと身体を流した。
そして長い脚をバスタブのふちに乗せ、ゆっくりと湯につかりながら胸に溜めた息を大きく吐き出した。
イラつく黒木の様子が瞼に浮かぶようで少し愉快だった。
バスタブから出てゆっくりとお湯をふき取り、大きめのバスタオルを身体に巻いてシャワールームを出る。
「お先にありが・・・」
言いかけた言葉が終わる前に黒木が飛び掛ってきた。
慣れない手つきでバスタオルを剥ぎ取り、ベッドに押し倒すと乳房に顔を埋めた。
倫は、顔を横に向けてされるままにした。
そして、ただ我武者羅な愛撫にも微かに欲情を覚え出した頃、黒木は倫から離れベッドに座りこみ、首を項垂れた。
「どうしたの?」
倫がたずねると、「だめだ」と黒木は小さく呟いた。
それは倫にとって始めての経験ではなかった。
数人の男性経験を持つ倫だが、その幾人かは黒木と同様に倫の前に座り込んでしまった。
男達は口を揃えて倫を罵った。
お前が悪いと。
さすがに黒木はそうは言わず黙っているだけだったが、胸の内は同じだったかもしれない。
「大丈夫、私がしてあげる」
うなだれた黒木のそれを唇で包んだ。
黒木は股間に顔を埋める倫の髪を優しく撫でた。
しばらくすると僅かだが固くなりはじめ、倫は舌先でくびれた部分を刺激した。
その瞬間、口に暖かいものが広がり、少し遅れて生臭い匂いが鼻腔に届いた。
「う、うう」
頭上からうめき声が聞こえてくる。
嫌悪感にあわてて吐き出そうと思ったが、それは男を侮蔑することになると、ようやく耐えてティッシュにそっと出した。
「ごめん」
黒木はまた項垂れ、倫は笑顔を見せた。
黒木は倫の笑顔を愛情の表現だと受け取ったようだ。
倫にとって、口に受け止めることは初めての体験だった。
婚約者である黒木に愛情を持たなければいけないと思った結果の行為だ。
だから、黒木の思いもあながちはずれていたわけではないのかもしれない。
近頃、肉体が快感を欲している。
現に中途半端に終わってしまった黒木との行為に、翌日の今にいたるまで苦しめられている。
昨夜、黒木がラブホテルに車を乗りつけた時に僅かな抵抗も示さなかったのは期待していたからでもあった。
倫のまとう知性と教養は周囲の人間にはもちろん、倫自身にも性への欲望を表出させることを否定させた。
プスプスとくすぶった欲情の炎が自宅に戻りシャワーを浴びる頃に襲いかかってきた。
股間に強い水流を当てながら右手を伸ばした。
元来、倫にとって自らを慰める行為は戒められるものだった。
つい最近まではその行為をしたことがなかったのだが近頃は度々それをする。
しかし嫌悪感を伴っての行為では欲望の炎を静めることはできない。
そして、倫は考えた。
私を知らない男ならメチャクチャにしてくれるかもと。
そして、自分もプライドを捨てて身体を投げ出すことができるかもしれないと。
倫はパソコンを立ち上げ、慣れた手つきでマウスを操作した。
液晶画面には次々と文字が流れて行く。
マウス操作を止め、画面を見つめる。
画面には一人のプロフィールが表示された。
「HN」 佐伯 幸介(サエキコウスケ)
「年齢」 37才
「職業」 精神科医
「PR」 貴女の心と身体をつなぎます。(料金は応談)
出会いサイトの掲示板だった。
ほとんどが怪しい業者かありふれた男に思えた。
ありふれた男など周囲には掃いて捨てるほどいる。
でも、この男のプロフは倫の気を惹いた。
心と身体をつなぐ?
胸の奥に火がついた気がして、返信ボタンを押した。