麻衣ちゃんの乳首-1
就職してひとり暮らしを始めた俺に最初に襲いかかってきた試練は毎日の食事だった。22歳まで調理なんかコンビニ弁当をレンチンしたことががあるだけだったし、当然ながら米を炊いた経験なんてない。それでも最初の頃は好きなものを外食で好きなだけ食ったりしていたけど、住んでいる町も空港の周辺も大都市ではないので飲食店のバリエーションが少なく、半年も経たないうちに外食に飽きてきた。
そうなると多少は自炊しなきゃいけないと考えるようになるもので、あれから四年、炒めものくらいまでは自力で作れるようになった。しのちゃんと出逢う前のヒマだった頃は、休みの日にカレーを作ったりもしてみたくらいだ。あれって適当な鍋で作ると簡単に焦げちゃうのな。
そんなわけで出勤するときも、朝起きてから余裕があれば弁当を作って持っていくこともある。空港内にはコンビニとお高めなレストランしかないので、社内でも弁当持ってくる派がほとんどだ。
今日俺が持ってきた弁当はちょっと手抜きで、冷食のから揚げをメインにノリを巻いたキュウリと小さく切った辛子明太子がおかずだ。白飯は昨夜の残り物で、味噌汁だけコンビニで買ってくる。
オフィスは狭くて休憩スペースがないので、俺はいつもターミナルビルの二階屋上の展望デッキで弁当を食べるようにしていた。昼前後は離発着便がないから見物客もいないし、デッキの南寄りにはベンチと日除けが設置されている。
膝の上で弁当を広げ、滑走路やがらんとしたエプロンを眺めながらから揚げを噛んでいると、
「あ、ここでご飯食べてたんですか?」
と、麻衣ちゃんの声がした。顔を上げると、デッキの入り口ドアの方からこっちに歩いてくる、白いブラウスにライトイエローのワイドパンツ姿の麻衣ちゃんの姿が見えた。左手にグレーのランチバッグを下げている。
「うん、麻衣ちゃんもお昼?」
「はい、今日天気いいから、外で食べようと思って……でも、ちょっと暑いですね」
ベンチの俺の隣に腰掛けた麻衣ちゃんはそう言いながら、ふと俺の弁当を覗き込んだ。
「わ、コンビニ弁当じゃないんですね、もしかして……彼女さんですか?」
「ううんまさか。自分で作ったやつだよ」
「本当ですか?すごいじゃないですか、私、料理できる男性尊敬します」
右手を胸に当てて笑顔で言う麻衣ちゃんの白い歯が眩しい。麻衣ちゃん今日もほぼすっぴんか、まぁ接客しないからいいし、個人的にはこういう素のまんまみたいなの好きだけど。
「から揚げは冷凍食品だけどね」
「えー、でもそれって時短調理みたいなものですよね、朝作るのって大変ですもん」
「麻衣ちゃんのも自分で作ったの?」
「あはは、私料理できないから……母が作ってくれたんです」
ランチボックスのジッパーを開いてバーントシェンナのタッパを取り出す麻衣ちゃんの横顔をさりげなく盗み見る。今年の五月からアルバイトで入社した麻衣ちゃんは大学1年生で、早生まれだからまだ18歳のはずだ。高校まではバドミントン部で、高校1年生の弟がいる。好きなバンドは髭ダンで好きな小説家は有川ひろ、彼氏はいない、どころかこれまで男とつきあったことすらないっぽい―いや、この辺は、青葉線に直通する急行で一緒になることが多い琴美が麻衣ちゃんから聞き出してきたことを俺にぺらぺら喋った話だ。俺に彼女を作らせたいという謎の使命感を持っている琴美は、麻衣ちゃんと俺をくっつけようと画策して俺にやたら麻衣ちゃんを推してきた。
確かに、小柄で素朴な雰囲気でおっとりしていて真面目な性格の麻衣ちゃんには俺も好感プラスアルファを抱いているけれど、麻衣ちゃんが入社してきた時点で俺にはもうしのちゃんがいた。しのちゃん以外の女の子とつきあったりする気はまったくなかったから琴美の使命感はお節介以外なにものでもない。ないのだけれども。