お守り-3
あぶね。
「え、なに?まさか『もう彼女いる』の?」
もはや清掃をほっぽりだしている琴美がカウンターの中から飛び出てきた。いちおう声のボリュームは控えているが、クソ真面目な運行管理者が見たら面倒くさいことになりそうな状況だ。二人いる運行管理者のうち今日出社しているほうの、気象条件についてパイロットにも正論をぶちかまして譲らない堅物のことを俺は好きになれないでいる。
「いや、いねぇよ」
「じゃなんて言いかけたのよ、いま」
「なんでもない、『もう彼女なんてできない』って言おうとして、あんまりみじめだから口にするのやめたんだよ」
苦しいな、本当にアドリブが効かないぜ俺は。
「変なの。あ、まさか欅坂のセンターとかアニメとか、そんなのが彼女ってんじゃないんでしょうね?俺の嫁、みたいなさあ」
俺は苦笑いだけしてやり過ごした。実際の彼女、「こいびと」は、アイドルだの二次元だのよりも、もっと理解されない属性だ。俺のこいびとは小学2年生で、俺はその小学2年生がくれたパンツをお守りにしている。こんなこと口が裂けても人には言えない。
清掃や簡単なセッティングを終わらせていったんオフィスに戻る。ブリーフィングがあり、今日の宮古からの550便は定刻通りに運行予定であることと、PAX(乗客)はインファント(座席を必要としない乳幼児)一名を含む156名、つまり座席がすべて埋まったフルブックであることが伝えられた。宮古島からの団体客がメインで、隣の市の古跡見学ツアーのエアー部門(ツアーの中の、旅客機で移動する行程の部分)をうちが請け負ったとのことだ。営業頑張ったな。そのかわりこの団体客が宮古に戻るあさっては戦場になることがもう予想できる。明後日は日曜日、ヘタすると早出かな。
ま、どんなに忙しくても今の俺には屁でもない。俺にはこいびとがいて、こいびとがくれたお守りがある。
しのちゃんがあの日の夕方、
「お兄ちゃん、うちに来てくれたら……しののパンツ、お兄ちゃんに一枚、あげてもいいよ」
と言いながら見せた慈母のような微笑み。一点の邪心もない、自分の「こいびと」が自分と会えなくて寂しい間の無聊を慰めるためのプレゼントをあげたい、まだ8歳なのに母性本能が溢れ出ているような微笑み。
惜しむらくは、言われた側の俺が邪心の塊で、無聊を慰める、に二重の意味が籠もっていたりすることだ。くそ、幼女を慈しむ気持ちと幼女に向ける性欲、うまくバランスを取れば両立できるはずなのに、煩悩というやつが均衡の邪魔をする。
「あ、ママ、お仕事でいないから、遠慮しないでだいじょうぶだよ」
しのちゃんが煩悩にダメ押しをする。俺の脳裏で、欲望と理性が激しく渦巻く。本能に従順になれ。いや、大人の理性を忘れるな。なんだ、しのちゃんの好意を無下にするのか。馬鹿、うかつなことをしたら社会からの脱落じゃ済まなくなるぞ。
最後には理性が勝った。圧勝ではなかったが。
「ありがとう、しのちゃん。でも、お家に入るのはやめておくよ」
「え?なんで?だって、こいびとだから入っていいのに」
しのちゃんが小首をかしげる。そうか、ママが「こいびと」を家に上げたことがあったのかな。けど、他人を無闇に家に上げる習性が子どもに付くのはよくないし、万一俺が出入りする姿を見られたりしてややこしい話になって、しのちゃんとの時間を失うのは絶対に避けたい。
「俺、まだママにあいさつもしてないし。ママからしたら知らない人だから」
「ふーん。お兄ちゃんまじめー。まぁ、あたしはお兄ちゃんのそういうところが好きだけど」
唇をきゅっとすぼめたしのちゃんは、今度は茶化したような笑顔を見せた。
「わかった、じゃあ、ちょっと待ってて」