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白衣の天使
【その他 官能小説】

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白衣の天使-8



 看護学生だった頃、恵麻はいくつかの病院で面接を受けた。それなりに知名度のある病院に的を絞り、ずらりと並んだ大人たちを相手に志望動機や自分の長所などを述べ、度重なる緊張から胃を痛めることも少なくなかった。
 どれだけ準備をして面接に臨んでも手応えを感じない、という味気ない日々は恵麻から笑顔を奪っていった。恵麻だけでなく、彼女と同じ道を目指す友人たちの顔にも焦りの色が漂っていた。誰もが氷河期の洗礼をまともに食らい、靴擦れした足のかかとは血で滲んだ。
 そんな就職活動に明け暮れていた時、何度目かの不採用通知を突き付けられた恵麻は洋菓子店に立ち寄った。翌日が誕生日だったので、ささやかなお祝いをするために苺のショートケーキを購入したのである。
 ケーキの入った白い箱を手に帰宅している時だった。履き慣れない靴のせいでバランスを崩した恵麻は歩道に倒れ、ガードレールに頭をぶてけしまう。その衝撃で視界は歪み、意識が薄れた。
 もう駄目だと思った。私は助からない、このまま短い人生を終えるのだと悟った。意識を失う直前に見たのは、白い箱から投げ出されたケーキの変わり果てた姿だった。
 どれくらい気を失っていたのか、目を覚ますとベッドの上だった。腕からチューブが伸びていて、その先が計器とつながっている。どうやらどこかの病院のようだ。
「恵麻……」
 懐かしい声がした。窓側へ目を向けると母親の姿があった。パート先から駆けつけてくれたのだろう、地味な色の作業服を着ていた。
 恵麻がどういう経緯で運び込まれたのかを母親は穏やかに説明してくれた。たまたま通り掛かった男性が恵麻のことを見つけ、すぐに救急車を呼んでくれたという。
 椎名雅人──それが恵麻を救ってくれた命の恩人の名前である。それに彼はこの「椎名診療所」の医師でもあった。大事に至らずに済んだのも、彼の迅速な処置のおかげだということは否めない。
 母親の介助を借りて恵麻は上体を起こした。頭痛は少し感じるものの、我慢できないほどではない。病室は個室になっていた。
「お母さん、あの箱……」
 テーブルの上に白い箱が乗っていた。先ほどの洋菓子店のものだとすぐにわかったが、なぜか原型を止めている。確か箱も中身もぐちゃぐちゃに潰れたはずなのだが。
「ああ、これね」
 そう言って母親は箱を手にした。
「この診療所の先生が、恵麻にどうぞって」
「私に?」
 恵麻は箱を受け取った。そして不安な気持ちで蓋を開けると、そこには真新しい苺のショートケーキが入っていた。恵麻を悲しませないためにわざわざ買ってきてくれたという。
 どうしてここまでしてくれるのか、最初は理解できなかった。でも時間が経つにつれてだんだん胸がいっぱいになり、ついには涙をぽろぽろとこぼしていた。人の優しさが温かいと思えた瞬間だった。
 自分もこんなふうに人の役に立つ仕事がしたいとあらためて思った。できれば看護師になって誰かの傷を癒したい、助かる命を救ってあげたい。それなのに結果が追い付いて来ないのが惨めだった。
 晴れて退院となった日、恵麻は主治医である椎名雅人の口から信じられない言葉を聞くことになる。この診療所で看護師として働いてみないか、と言うのだ。
 就職活動がうまくいかないという話を入院中にしたことがあった。それをおぼえいてくれたことが素直に嬉しかった。しかも採用の告知までしてくれるなんて。
「ありがとうございます」
 断る理由はなかった。間に合わせの道具で施したメークはたちまち涙で崩れ、こんな私で良ければと母親と二人して礼を言った。思えば恵麻は、この頃から椎名に対してとくべつな感情を抱いていた。
 そんな彼も今ではすっかり心をなくし、「椎名診療所はいかがわしい医療行為で裏金を受け取っている」「健全な女性を集めて怪しい人体実験をおこなっている」という噂を聞いた時には耳を疑った。
 後日、噂の真相を確かめに行ってみると、診療所は若い女性で溢れていた。明らかに異様な雰囲気である。物陰から眺めていた恵麻がおそるおそる建物に近づいていくと、背後から声をかけられた。
「のぞき見するなんて、悪趣味な女ね」
 新山夕姫だった。人間離れした美しい顔にはグロテスクな微笑が浮かんでいる。
「椎名先生を解放してあげてください。彼は、悪いことができる人じゃないんです」
「ふうん、よっぽど彼のことが好きなのね」
「椎名先生は私の命の恩人なんです」
 恵麻が憎しみを込めて睨み付けると、新山夕姫の赤い唇が不気味に曲がった。
「私、彼とセックスしたのよ」
 恵麻はおどろかなかった。ショックだが、想像していたことではあったからだ。
「あなたはまだ経験がないみたいね。あったとしても、せいぜいお医者さんごっこ程度よね」
「私は自分を大事にしているだけ。あなたとは違う」
「女はね、快感を得るたびに成熟するの。高崎恵麻さん、あなたにだって性欲を感じることくらいあるでしょう?」
「答えたくありません。椎名先生を返してください」
「ほんと、利口じゃないわね。彼はあなたを捨てて私を選んだの。私には彼を満足させる自信がある。つまり、あなたに足りないものが私にはあるってこと」
 視線と視線がぶつかり、火花が散った。新山夕姫のような下品な女を彼が好きになる理由が見つからなかった。華やかな容姿ではあるが、メッキが剥がれれば醜い姿に化けるような気がした。
 踏み込んではいけない神の領域──いつか椎名が口にしていた言葉が脳裏をよぎる。新山夕姫がどんな能力に長けているにせよ、人の尊厳をもてあそぶような医療行為は認めない。
「ごきげんよう」
 それだけ言い捨てて新山夕姫は診療所の中へ消えた。廃れたサナトリウムのような建物からは負のオーラが放出され、とぐろを巻き、おそろしい断末魔の叫びすら聞こえそうだった。


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