家族旅行での出来事 3-5
「ああ、もう……。真奈美ったら。なんでそんな約束してきたのよ。」
母親が突然矛先を真奈美に向けてきたので、真奈美は驚いた。
「真奈美のせい?真奈美、何かいけないことしちゃった?」
真奈美は急に悲しくなり、母親の顔を見れずに下を向いた。
「ああ。ごめん。真奈美はちっとも悪くないわ。
ああ、わたし、何を言ってるんだろう。」
母親は慌てて真奈美に謝ったが、
真奈美は叱られたことよりも、母親の感情の起伏の大きさに驚いていた。
(どうしちゃったんだろう。
お母さんが真奈美のことを怒るなって、珍しい。
やっぱり何かあったのかなあ。)
真奈美は母親に何と言っていいのかわからず困っていた。
母親の態度を見かねたのか、父親が母親に声をかけた。
「香澄。何か隠していること、あるんじゃないのかい?
さっき、言ったじゃないか。
隠す必要も恥ずかしがる必要ないんだって。
全部正直に、包み隠すことなく、話しておくれ。」
「ああ。あなたはそうやって簡単に言うけれど、
わたしにだって、心の奥底に隠し続けてきたことだってあるのよ。
そう簡単に、すべてを話せって言われても……。」
(お母さんが心の底に隠してきたこと?えっ?それってなんだろう……。
もしかしたら真奈美のこと?だから真奈美に怒っているの?)
「何も無理に話せって言っているんじゃない。
話せば楽になることなら、何も隠す必要などないだろうというだけのことだ。」
「そうね。話せば楽になるかもしれない。
でも、あなたがそれを認めるとか許すとかじゃなくて、
わたし自身が許せない過去があるのよ。」
「今更過去の自分を責めてどうなるんだい?
過去の自分を責め続ければ取り戻せるものなのかい?
取り消せるものなのかい?
香澄。君は君だ。過去の君も、今の君も、
そして未来の君も、すべてが君なんだ。
過去の自分を否定することは、今の自分も否定することになるんだよ。」
「……。」
「真奈美だって、君にどんな過去があろうと、
おそらく驚くことはないだろう。
真奈美は常に前を見ているからね。
だったら香澄も、前だけを見て生きていけばいいじゃないか。」
(真奈美?真奈美がどうかしたの?
常に前を見てる?どういうことだろう。
でも、後ろ向いてたら、歩けないし……。だから前、向いてるだけだよ?
あ、でも、そういうこと?お父さんが言いたいのって、そういうことなのかなあ。))
真奈美には父親の言っていることがとても難しいことのように感じていたが、
自分なりに理解したことを母親に向かって話し始めた。
「お父さんはなんか難しいこと、言ってるけど……。
つまり、今日より明日の方が楽しいように生きればいいってこと、
なんじゃないのかなあ。
過去って昔のことでしょ?
昔のことは、もう過ぎちゃったことだから、
やり直しも取り消しもできない。
だったら、明日がもっと楽しくなるように過ごせばいいんだよって、
お父さん、言ってるんじゃないのかなあ。」
「真奈美ちゃん。」
「そうだ、そうだよ。真奈美の言うとおりだ。
明日が今日より楽しければいいんだ。
つらい過去ならば、それをはるかにしのぐ幸せな未来を作ればいい。
香澄。それでいいじゃないか。いや、そうしていけばいいじゃないか。」
(あれ?お母さん、泣いてる。わたし、なにか悪いこと言っちゃったかなあ。)
しかし母は涙をぬぐうと、父親の方を向いて座り直し、ゆっくりと話し始めた。
「あなた。彼女は、星野史恵。
旧姓細川史恵。わたしの高校時代の親友よ。」
「香澄。吹っ切ったんだね。今までこだわっていた過去を。」
「ええ。真奈美にまで心配をかけるなんて、母親として失格だわ。」
そう言って真奈美を見て微笑みかける母を見て真奈美は安心した。
「そんなことないよ。お母さんは真奈美にとって、最高のお母さんだよ。」
「真奈美ちゃん。ありがとう。」
真奈美は母親に抱き付いた。
「おいおい。ここで母娘で抱き合って、泣き始めないでくれよ。
ほら、二人とも。8時からの約束を忘れたわけじゃないだろ?」
「ああ、そうね。そうだったわ。ねえ、あなた。」
「うん。どうしたいんだい?」
「真奈美に話した方がいいのかしら。」
真奈美は母親の胸に抱かれたまま、母親の顔を見上げた。
「どうしたの、お母さん。」
「あのね、真奈美ちゃん。お母さん、あの女将さん、
史恵さんって言うんだけど。あの人と、お話がしたいの……。」
「お話?昔のお話?」
「う〜ん。そうね。今更変に隠す必要はないのよね。
あのね。お母さん、あの史恵さんと、昔のように……。」
「あ、ギュッとしたいんだ。」
そう言って真奈美は身体を起こした。
「えっ?ギュっ?」
「うん。だって、お母さん、
昔、あのおばちゃんと、ギュッとしたこと、あるんでしょ?」
「真奈美ちゃん……。」
「真奈美にはよくわからないけれど、
懐かしいっていう気持ちの中に、
昔みたいにしたいなっていうのがきっとあるんだと思うんだ。
だから、お母さん、きっとあの人とギュッってしたいんだろうなって。
ね?お父さん。」
真奈美がキラキラした目で父親を見つめると、父親は大きく頷いた。
そうは言ったものの、実は真奈美自身、
【懐かしい】という感情そのものがよくはわかっていなかった。
ただ、いつでも会うことができていて、親しくしていた人と会えなくなり、
久しぶりにあったらどんな気持ちになるだろうと想像したのだ。
つまり、まだわずか数日なのに会えていない敏明のことを思い、
その敏明が目の前に現れたら自分はどうするだろうか、ということを考えたのだった。