家族旅行での出来事 1日目 夜の狂宴 その1-3
「ああ。まあ、男の直感、って言うか……。彼女の醸し出す雰囲気というか……。」
「誘ってた、とか言うんじゃないでしょうね。」
「いや、言われてみればそうかもしれないな。
あの女将、色っぽいって言うか、男好きするって言うか……。
やたらとボクの股間を見ていたからね。」
「そんなわけ、ないでしょ。あなたの勘違いじゃない?
それにそんな言い方って、彼女に対して失礼じゃありませんか?」
香澄は、史恵の選んだ夫や子どもたちなら、親密な関係が持てるかも、
と思った自分のことを棚に上げ、夫に対して怒りに似たものを感じた。
自分の高校時代の親友を第一印象から性的な対象として見ていた夫に、
呆れると同時に、何か大切なものを侮辱されたような気がしたのだ。
「失礼?そうかなあ。でも、ボクは感じたままを言っているだけだよ。
それよりも香澄。なんで君はそんなにムキになるんだい?
彼女と知り合いか何かなのか?」
「そうだよ、お父さん。お母さんとあのおばちゃん、知り合いなんだってさ。」
「そ、そうなのか?」
「なんで真奈美がそんなこと、知ってるの?」
香澄は不思議そうな顔をした真奈美を見た。
「あれ?だって、そう言ったのはお母さんだよ。ほら、お風呂に行く前に。」
「そうなのか?」
夫に言われ、香澄は真奈美との会話を思い出した。
「え?ええ。まあ。」
(そういえばそうだったわ。懐かしさで、つい……。
でもわたし、真奈美にどこまで話したんだっけ……。)
夫の言葉はあまりにもあっさりしていた。
「だったら初めからそう言えばいいじゃないか。
あれ?じゃあ、それを知っていて、この旅館を選んだのかい?」
そう言われてみると、この旅館を選んだことが計画的だった、
そう夫に思われても仕方ないと香澄は思った。
(でも、真奈美が偶然見つけた看板。
それがまさか史恵の旅館だなんて……。
世の中には奇跡ってあるのかも知れないわ。)
「ここに来たいって言ったのは真奈美だよ。」
真奈美は自分の存在をアピールするように父親の言葉を否定した。
「あ、そうか。そうだったな。道路際の看板を見て……。」
「わたしも知らなかったのよ。彼女が旅館をやっているなんて。」
「へえ。何年ぶりだい?」
「高校を卒業して以来。もう、昔の話だわ。」
「でも、それなら余計に話したいこともあるだろう。
あ、そうだ。真奈美の言う通り、
仕事がひと段落したら混浴に来てもらえばいいじゃないか。
あの女将がどんな女性か、ボクは知らないけれど……。
そんな話に乗ってくるような人、なんじゃないのかな……。」
確かに、夫の言うとおり、史恵ならこの話に乗ってくることは十分に考えられた。
香澄が史恵の夫に興味を抱いているのと同じように、
おそらく史恵も、香澄の夫、雅和に興味をもっていることは明らかだったからだ。
しかし、何の遠慮もない、夫の無神経な言葉に香澄は再び怒りが込み上げてきた。
「あなたの言ってること、わたしには意味が分からないわ。
彼女はただの高校時代の同級生よ。
いきなり混浴で会いましょう、なんて、おかしな話でしょ?」
香澄の怒りなど全く気付いていないのか、それともあえて無視しているのか、
雅和は淡々と続けた。
「いや。でも、真奈美が約束をしてきたんだろ?
だったら彼女もわかっているんじゃないのか?
あの兄妹と混浴に入ってるって、真奈美は伝えたんだろ?
そのうえで、混浴で会おうっていうことは、
つまりはそういうことだってわかっているんじゃないのか?
ほら、大広間を使っていいって言うのだって、
そういうことも含めての話だろ?香澄。」
(そういうこと?そういうことって、いったい何なの?
そりゃあ、旧知の仲であろうと見知らぬ仲であろうと、
男女が一緒に混浴に入るっていうことは、確かにそういうこと、だわ。
でも、それを前提に話をするなんて……。)
「ああ、ねえ、あなた。あなたって、
なんですべてをセックスと関連付けて考えようとするの?
彼女はそんな女性じゃ……。」
「そんな女性じゃない、のかい?」
(ああ、わたしは夫に、史恵はそんな女性じゃない、とは言い切れないわ……。
ううん。確かに、史恵はそんな女性だもの。
そして私と史恵との関係も……。)
雅和に言い込められたようになった香澄は思わず怒りの矛先を真奈美に向けた。
「ああ、もう……。真奈美ったら。なんでそんな約束してきたのよ。」
真奈美を責めるような言い方をしてしまった香澄はすぐに後悔した。
案の定、真奈美は香澄の突然の言葉に驚いている。
「真奈美のせい?真奈美、何かいけないことしちゃった?」
「ああ。ごめん。真奈美はちっとも悪くないわ。
ああ、わたし、何を言ってるんだろう。」
(ああ。わたし、やっぱりどうかしているわ。
真奈美をいきなり責めるなんて……。
でも、夫にいろいろと詮索されたくない……。
いい思い出ばかりじゃないし、それに……。)
「香澄。何か隠していることがあるんじゃないのかい?
さっき、言ったじゃないか。
隠す必要も恥ずかしがる必要ないんだって。
全部正直に、包み隠すことなく、話しておくれ。」
香澄は思わず夫から目をそらした。
「ああ。あなたはそうやって簡単に言うけれど、
わたしにだって、心の奥底に隠し続けてきたことだってあるのよ。
そう簡単に、すべてを話せって言われても……。」
「いや、別に無理に話せと言っているんじゃない。
話せば楽になることなら、何も隠す必要などないだろうというだけのことだ。」
「そうね。話せば楽になるかもしれない。
でも、あなたがそれを認めるとか許すとかじゃなくて、
わたし自身が許せない過去があるのよ。」