墓参り-2
芳恵さんを僕は当時、芳恵叔母さんと呼んでいた。叔母さん、とはいうが、便宜的にそう呼んでいた。母親の妹、というわけではない。母親と芳恵叔母さんとは、従妹の関係だ。
芳恵叔母さんがまだ小さいころ、しばらく僕の実家で暮らしていたこともあったと聞いている。芳恵叔母さんのお父さんは、絵に描いたような遊び人で、女を作り、外に出たまま帰らなかった。そのため、芳恵叔母さんのお母さんはだいぶ苦労したようで、比較的裕福だった僕の祖母を頼り、時々東京にお金の無心にやってきた。
娘一人を育てるのも大変なため、芳恵叔母を僕の当時の実家に預けたわけだ。そのため、母親は芳恵叔母を、妹のようにかわいがっていた。
その芳恵叔母は当時、うちの墓所の割と近い場所に住んでいた。車で7、8分、というとyころか。その叔母が、車を出して、僕の墓参りに同行してくれるらしい。僕としては願ったりかなったりであった。
小さい頃の芳恵叔母は、東京に来るたびによく散歩に連れて行ってくれた。自然の多い郊外で育った芳恵叔母にしてみると、僕の育った地域は緑が少ないらしい。僕ではまず、見逃してしまうであろう、橋のたもとに咲いた水仙を、芳恵叔母は微笑を浮かべ、いつまでも眺めていたのを思い出す。
感情の起伏は少なく、口数の少ない、おとなしい人であった。絵を描くのが趣味で、水彩画を最近始めた、と母親から聞いている。芳恵叔母さんらしい趣味だ、と思ったものだ。
一時間ほど電車を乗り継ぎ、芳恵叔母に拾ってもらう駅にたどり着いた。駅ロータリーに出て、辺りを窺うと、目の前に真っ赤なラングレーが停車する。まさか、と思った。おとなしいイメージの芳恵叔母とはかけ離れている。真っ赤な色もそうだし、ラングレーを乗るタイプには思えなかったからだ。
助手席側の窓が開いた。中を覗き込むと、サングラスをかけた女性が、こちらに向かって手を振っている。
真っ赤な唇をつんと尖らせ、手招きすると、サングラスを外したその女性、やはり芳恵叔母だった。
「乗って」
と後ろを振り返りながらぶっきらぼうに言う。
僕以外に車の出迎えを待つ人は意外に多く、叔母は続々連なってゆく他車両を気にしているのだろう。僕が慌てて助手席に滑り込むと、シートベルトを掛ける間もなく、叔母の真っ赤なラングレーは走り出した。