思いがけない出来事 2-2
「なぜ?わたしは美奈子ちゃんが心配なだけよ。
あなたの邪魔をするつもりもないし。」
香澄は美奈子の太腿を縛り付けている縄の結び目をほどきながら答えた。
「お前がここにいると、オレも思うように動けないと言っているんだ。」
「わたしがいると邪魔?わたしに見られると何かまずいことでもあるの?」
「まずいとかそういうことじゃない。」
「だったら別の構わないじゃない。」
田辺は自分が舐められていると感じたのか、さっきよりも語気を強めて言った。
「おい、香澄。お前、自分の立場が分かってるのか?
オレたちはレイプ犯。お前は……。」
「わたしにとってはレイプ犯でも何でもない。
わたしはまだ……。レイプされてはいないわ。」
開き直ったともとれる香澄の言葉に、さすがの田辺も言葉を荒げた。
「だったら、今すぐここで犯してやろうか。」
「犯したいなら犯せばいいでしょ。好きにすればいいわ。
わたしは美奈子ちゃんのそばにいます。」
「まったく強情な女だ。
おい、香澄。殺されたいのか?」
「殺されたくはないわ。殺されるくらいならレイプされた方がましよ。」
田辺は唖然として香澄の顔をまじまじと見た。
「……。ま、仕方ないか。なんとかなるだろう。」
田辺は香澄を追い出すことを諦めた。
香澄は部屋の中を探し回り、棚にしまわれたタオルを見つけた。
「余計なことをするな。」
香澄が田辺の汗をぬぐうと、田辺は香澄を見もしないで怒鳴ったが、
そのまま香澄の行為を受け入れた。
ほどなくして、和室の、リビングとは反対側の畳が下の方からドンドンと叩かれた。
田辺がそれに気づき、香澄に声をかけた。
「いいか。絶対に声を出すなよ。ほら、あそこ。
壁際を見てみろ。奥の柱の横に小さなボタンがある。あれをちょっと押して来い。」
救命措置を続けながら言う田辺の言葉には有無を言わさない凄みがあった。
香澄は言われるままに壁際へ行き、その小さなボタンを押した。
ごくわずかなモーター音がして、1枚の畳の一方がゆっくりと持ち上がっていく。
やがて、畳を押しながら一人の男が現れた。
「えっ?な、なんで……。」
香澄はその男の顔をじっと凝視していた。
「おい、香澄。絶対に声を出すなと言っただろ。」
香澄の顔を睨みつけながら怒鳴る田辺の言葉に香澄は固まった。
男は持ち上がった畳の間から部屋の中へ入り、持っていた鞄を開けた。
「早かったな。」
「ああ。連絡をもらう前に、こっちに向かっていたからな。」
「予想してたのか?」
「ああ。で、実際には何分くらいだ?」
「そうだな。5分、その程度だろう。
ただ、大輔の奴が気が付くまでに少し時間がかかっていたかもしれない。」
「マッサージを始めてからは?」
「15分、ってとこかな。」
男は田辺に質問をしながら美奈子の脈を取り、胸に耳を当て、
瞼を開き、首筋に手を当て、美奈子の様子を手際よく確認した。
「心臓はもう大丈夫だな。心臓マッサージのおかげだ。」
「問題は酸素か?」
「ああ。脳の酸欠がどの程度だったかだな。
でも、あれは飲ませたんだろ?」
「ああ。ただ手違いがあってな。美奈子には3人がそれぞれ飲ませちまった。」
「3倍量?そりゃあラッキーだった。
だったら心臓も、それに脳の方も心配ないさ。
無呼吸状態が15分も続いたらまずかっただろうが、
3倍量飲んでいたのなら、5分や10分の呼吸停止は問題ない。」
「あの薬にそんな効果もあるのか?」
田辺は驚いた顔をして男の顔を見た。
「ああ。何があるかわからないからな。今回は。
アクシデントによる呼吸停止なんてこともあるかと思って、
念のため、血中の酸素濃度を高めに保ち続ける効果もある、
特別処方のスペシャルバージョンだ。」
緊張場面であるにもかかわらず、男は少しお道化ながら言った。
「なんだ、それが最初から分かっていれば、こっちももう少し気楽でいられたのに。」
「それこそリアリティーが無くなるだろ?
まあ、それでも救命措置のできるやつがいて運がよかったよ。」
「大学時代にさんざんやらされたからな。
実際にやったのは今回が初めてさ。」
「そうか。ありがとう。」
「いや、お礼を言われると困る。きちんと謝らねばならんな。」
「いや、アクシデントはどんな計画にも付きものさ。」
「やはり本当のことを大輔にも言っておくべきだった。
リアリティーを求めたばかりにこんなことになって。」
「いや、それを頼んだのはオレの方だ。こっちこそすまない。」
香澄が声を掛けようと近づくと、男は黙って香澄を見つめ、首を横に振った。
何も言うな、ということなのだろう。
香澄には全く事情は呑み込めなかったが、
今ここで騒ぐことに何の意味もないことだけはわかっていた。
そう。今は美奈子の命を助けることが第一なのだ。
しかし、二人の話から想像すると、美奈子の状態はそう危険なものではないようだ。
いや、言葉の端々から察すると、美奈子がこうなることさえ、
二人の言う計画の範囲内なのかとさえ香澄には思われた。
男は鞄の中から小さな金属製のケースを取り出した。
(注射?)
男はこれも慣れた手つきで、
小さなガラス瓶に入った液体を注射器で吸い、美奈子の腕に打った。
「これで、2,3分しばらくすれば意識が戻る。
意識が戻れば何の心配もない。」
「そ、そんなもんなのか?」
「ああ。美奈子もそれがわかっていたから、やってみたいと言ったのさ。
まあ、何があるかわからないのは確かだが、
どうしても確かめたいし、どうしても試してみたいって言ってな。」
「そうか。まあ、なかなか頑固なところもあるし。
思い込んだら命がけっていうやつか?」