迫りくる闇-1
時は少し戻り………。
月曜日の朝、通勤途中で痴漢を捕まえたポニーテールの女性は、駅員や警察官への状況説明を終えて、ようやく会社へと着いた。
そこは介護施設等に食材を配達したり、会社の昼食用のお弁当を配達する会社で、この女性はここで営業の仕事をしていた。
一時間ほど遅刻となったその女性は分厚いガラス戸を開けて中に入り、多数の社員が犇いている広い事務室の最奥にあるデスクへとパタパタと駆け寄る。
『おはよう新庄さん。今朝は大捕物をしたそうじゃないか?』
新庄と呼ばれた女性の前にはスーツを着た二人の男が立っていた。
柔和な笑顔をした白髪頭の松岡常務と、天パ頭の前田センター長である。
そういえば今日は常務が来社する日だったと冷や汗を掻いたが、向かい合う柔らかな表情に変わりはない様子。
「大変申し訳ありません。遅刻してしまいました」
しっかりと腰を折り曲げて深々と頭を下げると、ポニーテールは弧を描いて垂れた。
爽やかなシャンプーの香りを振り撒く彼女の名前は、由芽と言う。
大学卒業と同時にこの会社に入社した、二十二歳の新人である。
『なんでも痴漢を現行犯逮捕したらしいじゃないか。さっき今朝の事を理事長に報告したら、えらく感心していたよ?いやあ、その正義感と勇気ある行動はウチの社員の模範となるべきものだと、理事長も仰っておられた』
「い、いえ…そんな……ただ私は見過ごせなくて……」
『今日の遅刻も大目に見てくれるそうだ。良かったな、新庄さん』
松岡常務に肩をポンと叩かれて、ようやく由芽は頭を上げた。
『理事長は来週の月曜から、日頃の業務に対する激励を込めて全センターを巡られる。このセンターは水曜日だ。そこで新庄さんを表彰すると仰られていた。これは名誉な事だよ?』
「あのッ…そ、そこまでして戴かなくても……」
すっかり恐縮した由芽は、小さな身体を更に縮こませて俯いてしまった。
遅刻して業務に支障をきたした上に表彰などとなれば、やはり気が引けるというもの。
『理事長はしっかりと新庄由芽の名前を覚えられただろう。この調子で仕事も頼んだよ?前田君も宜しくな』
「はい。ありがとうございます」
『松岡常務、ありがとうございます』
頭を下げた由芽の肩を軽く叩いた常務は、センター長を引き連れて意気揚々と手を振って事務室を後にする。
二人を見送って直ぐに、由芽は直属の上司がいるデスクに、そそくさと向かった。