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ブービートラップ
【ショタ 官能小説】

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新生活 Part 1-1

一足早く、渡米していた父親は空港で俺と母親を車でピックアップすると、新居のあるLa Jolla(ラ・ホヤ)地区に向かった。ちょっと、自分が想像していたよりも高級住宅街だったので引いてしまった。付近には、カリフォルニア大サンディエゴ校(UCSD)キャンパスなどの教育機関、Sea Worldなどの娯楽施設、ショップやレストランなどの商業施設などが揃っていて、賑やかなところだった。とりわけ俺の度肝を抜いたのは、Chilren’s Poolと呼ばれる太平洋岸の入江だった。名前からすると、ガキがバシャバシャ泳いでいそうな場所を想像するが、とんでもない。見渡す限り浜を埋め尽くしているのは、夥しい数のアザラシやオットセイたちだった。普通、アザラシと言えば、シベリアやアラスカなど北極圏を連想するが、この一帯の海域には北から南に、アメリカ西海岸に沿って寒流が流れていて、それに乗ってやって来るらしい。その寒流のせいか、緯度的には鹿児島とほぼ同じなのに、気候も涼しい。

自宅からティフアナまでは約25マイル(40キロ)あり、道が空いていれば1時間もかからない。だが、さすがに車社会のアメリカだけあって、朝夕のラッシュ時にはフリーウェー(無料の高速)は大渋滞する。せっかちなドライバーは、強引に路肩を走行するくらいだ。

治安が比較的よいという理由で、俺たちの一家はLa Jollaに居を構えたが、親父は毎日2回朝と夕方に渋滞に巻かれ、国境を越え、ティフアナのカオスを掻き分けて通勤するのは辛いということで、しばらくしてから、ティフアナ市内にある重武装の警備員に警護されたコンドミニアムを別に借りて、平日はそこから運転手の運転する車で通勤することになった。単身赴任生活に逆戻りである。どうして、そんな無駄なことをするのか、疑問に思うかもしれないが、単にコストの問題である。当時メキシコの物価は、アメリカよりも圧倒的に低かった(今でもそうだと思うが)。80年代のメキシコは、対外債務危機に陥り通貨のペソの価値が暴落していたのだ。親父は工場長だったとは言え、大手メーカーのしがない下請けに過ぎない会社に、賃金水準の高いアメリカ人運転手を雇って、朝夕の送迎をさせるゆとりはなく、結局このような運びになった。

アメリカでは、9月の第1月曜日のLabor Dayの翌日から新学期が始まる。5月生まれで14才だった俺は、Kearny Mesa High Schoolの1年(9th grade: 9年生)の学級に配属された。14才で高校(high school)に入学とは、飛び級でもしたのかと、思われるかもしれないが、ふだん、年上のいい女たちとセックスをすることしか考えていなかったポンコツの俺が、そんな優秀なはずはない。

アメリカの学制は州によって多少異なるが、日本の6-3-3制と異なり、5-3-4制である。つまり、子供は小学校に5年間、中学に3年間、高校に4年間通う。丁度その時の俺は、タイミング的にmiddle school(中学)を卒業する年齢に該当した。

カリフォルニアに新に外国から転入してくる子供を持つ親は、まず地区の教育委員会(Education Board)で面接を受け、ESL(外国語話者向けの英語クラス)やbilingual education(2ヶ国語教育)の受講を希望するかを聞かれ、その上で配属先が決まる。もちろん、俺の一家もそれを希望した。その結果、受け入れ体制が整っているKearny Mesa Highへの入学が決まった。


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