譲司の迷走-2
美樹が店に現れたのは、ひとりホテルに置き去りにされた日から2週間ほど後だった。
美樹は開店と同時に店に入ってくるなり、譲司を指名した。
「カズ。今日はそのつもりで来たの。店外デートをお願い。」
「今からですか?」
「そう。お店のシステム上、無理なのはわかっているけど、これで何とかなるでしょ?」
美樹はそう言って、店外デートの指名料と料金の数倍の札束を譲司に手渡した。
「美樹さん。大丈夫なんですか?こんな金額。」
「安心して。怪しいお金じゃないわ。ただわたしのお願いもいくつか聞いて欲しいの。」
「美樹さんのお願いですか?これほどのお金をいただくんじゃ、断れませんね。」
「ありがとう。じゃあ、わたし、一度これでお店を出るわ。」
「店を出る?飲んでいかれないんですか?」
「それがまずければ、適当にオーダーしておいて。カズがとったオーダーとして。」
「はあ。」
「で、店が閉まる頃にまた来ます。」
「はい。」
「そしたら、今夜はわたしが選んできたホテルに行って欲しいの。」
「美樹さん、ホテルも探してきたんですか?」
「ええ。部屋も予約しておくから。いいでしょ?」
美樹はそう言うと譲司の唇にキスをして店を出て行った。
他のホストたちが駆け寄ってきた。
「カズさん、どうしたんですか?あれって、美樹さんですよね。」
「もう帰ってしまうなんて。何かありましたか?」
「いや、別に。特別オーダーさ。」
譲司はそう言って、美樹が置いていった札束を見せた。
美樹が店に来たのは閉店の15分ほど前だった。
意外だったのは男と同伴で来たことだった。
美樹は男の腕にしがみつくようにしながら店に入ってきて譲司を呼んだ。
譲司が席に着くと、美樹はその男に譲司を紹介した。
「この人がわたしのお気に入りのカズ。」
「どうも。娘がいつもお世話になっています。」
「あ、こちらこそ。」
(娘?娘だと?ま、まさか。)
譲司は何が何だか混乱した。
「カズ。この人はわたしの父。パパとかじゃなくて、本当の父親よ。」
男はどう見ても50代後半から60代、といったところだろうか。
なかなかダンディーで落ち着いた雰囲気の男性だった。
譲司には美樹の父親と名乗る男がどうして同伴しているのか全く想像もつかなった。
そして美樹の考えていることも同じだった。
店の外には黒塗りの高級車が停まっていた。
譲司たちが近づくと、中から運転手が下りてきてドアを開けた。
譲司は美樹に促されて車に乗り込んだ。
助手席には美樹の父親が乗り込み、車は走り出した。
譲司は、前回美樹にしたことや今まで美樹にしたことがこの男にばれて、
どこかへ連れて行かれ、痛い目に合わされるのだと思った。
もしかすると命を落とすことになるかもしれない。
そうなったとしても、それはそれで仕方のないことかもしれない。
譲司はどこか醒めた目で自分が置かれている状況を客観視していた。
助手席の男が後ろを振り向き、譲司に話しかけてきた。
「いや、突然のことで驚かれていると思います。
改めて紹介させていただきます。
わたくし、藤本住宅の会長を務めています、藤本茂雄と申します。」
藤本住宅といえばかなりの大手住宅メーカーだ。
そこの会長と名乗る藤本茂雄は譲司に名刺を手渡した。
車室内の照明ではよく見えないが、確かにそうした肩書の名刺だった。
そんな大手住宅メーカーの会長の娘に手を出し、
やりたい限りのことをしまくった自分は処刑(リンチ)されてもおかしくはない。
そう思って半ば諦めた譲司だったが、それにしては扱いが丁寧すぎる。
いったい何が始まるんだ?
藤本は言葉を続けた。
「いや、先日、娘から相談を持ち掛けられまして。
今の亭主と別れて、一緒になりたい人がいると。
まあ、それがカズさん、でよろしかったでしょうか?」
「あ、まあ、はい。店ではそう呼ばれています。」
「そうですか。で、娘は今の亭主とは、まあ親の決めた政略結婚みたいなものでして。
当初からうまくいっていないところもあったんですが。
彼には、ああ、この子の亭主ですが、彼にはわたしの会社を継がせるつもりでした。
そのために婿養子に来てもらった。
しかし、この子はどうしても彼と別れたいと言い出しまして。
で、事情を聴いてみたら、あなたとのことを話しだしまして。」
「は、あ。」
「あ、着きました。まあ、中に入ってゆっくりお話をさせてください。」
「お父様。長い話はいやよ。カズと楽しむ時間が無くなっちゃう。」
「お前、そうは言っても、カズさんだっていきなりのことで、
何が何だかお分かりになっていないはずだ。」
「いいわよ。そんな話、後からだって。
とにかく、今日はあいつと別れる日だからね。」
美樹はそう言うと、譲司の手を取った。
「ごめんなさいね、カズ。いきなりこんなことになって。」
美樹はカズの手を引いて車から降り、歩き始めた。
譲司が周りを見ると、そこは一流ホテルの車寄せだった。
玄関にはホテルマンが頭を下げて美樹を迎えた。
「お嬢様。お待ちしておりました。こちらへ。」
譲司はあっけにとられながら美樹に引きずられるように、ホテルのロビーを歩いた。
エレベーターで案内されたのは最上階のスイートルームだった。
「ご要望通りの室内に変更してございます。ごゆっくりどうぞ。」
ドアを開け、部屋の中に入ると、譲司が見たことのない光景が広がっていた。
壁全体がガラス窓かと思われるほどの大きな窓からは街の夜景が一望できた。
広いリビング、そしてゆったりとしたソファー。
そして壁には、なぜかしら見慣れたあの道具がかけられていた。
(なぜ、こんな高級ホテルにSМグッズが……。)