母・香澄の不安-4
麗子はそこで言葉を切り、香澄に椅子をすすめた。
香澄はよろけるようにしてその椅子に座る。
そんな香澄の肩に、麗子は黙って優しく手を置いた。
「香澄さん。真奈美ちゃんの病気のこと、
うちの人もいろいろと調べましたが、
やはりなかなか難しい病気だと申しておりました。
真奈美ちゃんが我が家を訪れるたびに、
少しでも病気が回復に向かえばと、
いつもいつも思っていました。
そんな病気を抱えながら、あの笑顔、あの優しさ。
周りの空気を明るく変える無邪気な言葉。
大人のわたしたちでさえ、
自分の生き方を考えさせられる、何気ない一言。」
麗子は香澄の肩を優しく摩りながら話を続ける。
気が付くと香澄の目には涙が浮かんできた。
「病気の影響で、真奈美ちゃんの脳は十分な成長ができなかった。
そのことで香澄さんも、ずいぶん悩まれ、
ご苦労なさったでしょう。」
香澄は下を向いたまま何も言わなかった。
いや、真奈美が生まれてからのことがつい昨日のように思い出され、
そして真奈美の病気を知ってからの、
誰にも言わずに秘めてきた苦悩の日々を思い返していた。
「もっと勉強しなさい。
返事をきちんとしなさい。友達と仲良くしなさい。
わたしもさんざん子どもたちに言ってきました。
香澄さん。香澄さんは、真奈美ちゃんに、
そんなことを注意したことなどないのではないですか?」
「………。」
「そう。真奈美ちゃんは知りたいことがあると一生懸命に質問し、
自分で何とかしようと努力ができる子です。
いつも人の話を一生懸命に聞いて、明るい返事のできる子です。
人の行為をすべて善意にとらえ、人に優しく出来る子です。」
「………。」
「香澄さん。わたしは、いいえ、わたしたち夫婦は、
あんなに素晴らしい真奈美さんをここまで育てたあなた方夫婦のことを、
心から尊敬しています。
そして、そのことにもっと自信を持っていただきたくて、
今日、お二人をお招きさせていただいたのです。」
「わたしたちを、ですか?」
香澄はようやく顔を上げた。
「ええ。ここまで来るにはきっと乗り越えなければならないことが、
いくつもおありだったでしょう。
でも、わたしが察するところ、
香澄さんはそうした悩みを自分の心の中に閉じ込めて、
誰にも悟られないようにしてしまう方のような気がして。」
「麗子さん。」
香澄は麗子の目をじっと見つめながら言った。
「ごめんなさいね。あなたの心の中を見通したようなことを言って。」
香澄はそう言いながら、自分自身の目元にも浮かんできた涙をぬぐった。