銀の羊の数え歌−7−-2
ようやく追いつくと、すでに柊由良は宿舎の入り口で靴を履き変えているところだった。 「いいよぉ。ちゃんと一人でも帰れるもん」 確かにそうかもしれないけれど、外はひどい雨だし夜も遅い。月も出ていない真っ暗闇の中を、彼女一人で歩かせるわけにはいかない。
「事故に遭ったりしたら危ないだろ」
僕は傘だてから自分の傘を手にとって笑った。
「手紙を書いてくれたお礼に送って行くよ」 外の天気は、僕が想像していたよりもずっと厳しかった。傘をさして建物から出たとたん、荒々しい風に殴られてよろめき、同時にマシンガンのような雨が僕らを容赦なくうってくる。ただでさえ明かりに乏しい山の上なのに、傘を楯に進まなければいけないせいで、一メートル先の足元さえ怪しい。そんな台風とほとんど変わらない天候は、男の僕ならまだしも柊由良には相当きつかったに違いない。
「大丈夫か?」
突風に飲み込まれないよう、声を張り上げて隣りを歩く柊由良に声をかける。彼女は大きく頷くと、下唇を咬みながら必死に前へ進んだ。宿舎の前に広がる駐車場を横切り寮へ向かう坂道にさしかかると、風はさらに強さを増して、地鳴りのようにとどろいていた。並木はみんな同じ方向に、へし折れそうなほど曲がっている。すぐ近くの物音さえかき消され耳にはまるで届かない。視界の悪さも手伝って、まるで孤立した世界のようだ。もう一回風呂に入った方がいいな、と僕は思った。すでにジーンズはぐっしょり濡れて、ひざのあたりまで黒く変色してきている。こんな冷えきった体のまま眠ったら、きっと風邪をひいてしまう。そしてふと心配になって隣りを見たとたん、僕は驚いて足を止めた。さっきまであった柊由良の姿を、一瞬、見失ってしまった。慌てて振り返ると、坂のふもとで彼女の傘が止まっているのを見つけた。
「おい、大丈夫か?」
のぼってきた坂道を急いで駆け降りる。
「柊さん?」
聞こえないのだろうか。近づいて声をかけても、彼女はうつむいたまま何の反応も示してくれない。
「どうしたの?柊さん?」
と、心配になって手を伸ばしかけた時だった。急に柊由良の体が前後に揺らいだかと思うと、何度目かでひざが折れ、そのまま前へと倒れ込んできた。とっさに傘を手放して彼女の体を抱きとめた僕は、その顔を見るなり息を飲み込んだ。
暗闇の中でもはっきりと分かるほど、肌が青白い。まるで死人を見ているようだ。
瞬間、いやな予感が電流のように足元から頭のてっぺんまでを駆け巡った。
「柊さん?」
叫びたいのをこらえながら、震える声で彼女の名前を呼んでみる。
「おい…」
彼女の体を揺すった。ずぶ濡れになった柊由良は、まぶたをとじたまま、ピクリとも動かない。ぐったりともたれかかるその重さからも、柊由良の意識がすでにないことは明らかだった。