なぜ…-10
瀬奈は天井に視線を向けながら海斗の顔を思い浮かべている。会いたい、物凄く会いたい。こんな体にならなければ今頃もう海斗の元へ着いていた筈だ。ただ1人の男に会うことすら出来ない自分の人生、運命が悲しく思えて来た。
「海斗ぉ…、海斗ぉ…」
ずっと呟いている瀬奈。耳に微かにドアが開き引き足音が聞こえる。康平が戻って来たのだろう。しかし瀬奈は海斗の名前を口ずさむ事をやめなかった。
「瀬奈…」
何となく海斗の声が聞こえたような気がした。あまりに海斗の事を思い過ぎて幻聴が聞こえたのかな、そう思った。
(この声…、この声で瀬奈って呼ばれるだけで私は幸せだった…)
一瞬体の痛みを忘れるぐらいに胸がホッとする。もう二度と聞く事は出来ないであろうその声が聞きたくなり、無意識に海斗に呼びかけるように名前を呼んだ。
「海斗ぉ…」
すると再び声が聞こえた。望み過ぎたせいか妙に生々しく聞こえた。
「瀬奈…」
その声に胸がドキッとした。幻聴かと思っていたその声…、幻聴にしては違和感がある。一点を見つめていた瀬奈の視線が動く。ゆっくりと、ゆっくりと人影に向かい視線を向けると、瀬奈の瞳孔が開いた。
「会社休んできちゃっただろ…?相変わらずメンドクセー女だな…。」
笑顔は無かった。むしろ涙を浮かべている。その姿はいつもの海斗ではないが、そこにいるのは間違いなく海斗であった。
「か、海斗…?海斗なの…?」
瀬奈は目を疑った。まさか海斗がここにいるとは思ってもいなかったからだ。会いたくて会いたくて仕方がなかった海斗がそばにいる。瀬奈は全てを忘れて海斗の胸に飛び込もうとする。
が、体が動かない。どんなに力を入れても体が動かない。すぐそこに海斗がいると言うのに体を動かすことも出来ない自分が恨めしい。気持ちだけが焦ってしまう。
「瀬奈、もう大丈夫。動くな。俺はここにいるから…」
海斗は瀬奈の体に触れぬよう瀬奈の体の上に覆いかぶさり顔を寄せおでこをつけて目を見つめる。
「ずいぶん奇抜なファッションだな。福岡で流行ってんのか??」
人を食ったような海斗独特の言葉が物凄く嬉しかった。
「知らなかったの…?最先端のファッションだよ?」
「ダセーな。それに着るのが大変だ。」
「脱ぐのも…ねっ。メンドクサイかも。」
「ああ、メンドクサイね。」
「ンフっ」
「フフッ」
お互い笑った。しかしすぐに瀬奈の目から涙が溢れ出した。
「海斗ぉ、会いたかったよぅ…」
「だから会いに来たんだろ?遠くてメンドクサかったけど。」
「海斗ぉ…」
「瀬奈…」
両親の目の前で気が引けたが、海斗は痛々しい瀬奈の唇に唇を重ねた。
瀬奈は全てが報われたような気がした。しかしこの幸せがずっと続くものではない事は分かっていた。海斗とこのまま一緒になれたならどんなに幸せな事だろう。そうなる事を夢見ていた。だが瀬奈には分かっていた。自分が選択した道には必ず障害が立ちはだかる事を。だが今だけでもいい。海斗を愛し、愛されているこの瞬間を噛み締めていたい、そう思った。瀬奈にとって海斗とのキスは、甘く、そして切なすぎるものであった。