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最後の、最高の学園祭
【学園物 官能小説】

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松たか代のプライバシーに関わるレポート-1

ここで、3年C組の副担任、
松たか代のプライバシーに関わることに触れておいてもいいだろう。

松たか代は、歌舞技俳優である父、実業家の母の間に生まれた。

歌舞技(カブギ)とは
(よく知られている歌舞伎=かぶき とはべつのものである。)
言うまでもなく、日本古来から伝わる伝統芸能であり、
その名があらわすように「艶歌を歌い、淫らに舞い、性技を披露する」芸能である。

男女の秘めたる情事の様や、そこで発せられる女の喘ぎ声や擬音などを艶めかしい声で《歌》い、
男を誘い、時には誑かし、男女が絡み合う様を《舞》い、
男女の間にかわされるさまざまな性《技》を、
舞台上で披露する芸能のことである。

松たか代は、物心がつく前からこうした芸を磨く人々の中で育ち、
その様を目の当たりにしながら育った。
小学校入学前には、すでに日本古来から伝わる様々な性技
(俗に四十八手などと呼ばれるものなど)のそのほとんどを、
知識としてだけでなく、
実際に男性の役者相手に、
舞台で演じることができるまでに習得したと言われている。

その頃、早くも歌舞技座(カブギザ)の『人情色恋顛末記』で初舞台を踏み、
さらにはHHH(H Hで H 卑猥な H 放送局)の
大乱交ドラマ『松の乱』でテレビドラマに初出演。
さらには高校在学中でありながら、『ロングバージン』『ラブジュース』などの
民放ドラマにも出演。

ドラマで共演した男優のほとんどとが、
その性技の虜となり、
たか代を満足させられられずに、
芸能界を追われるようにやめていった俳優も数多くいるという。

女優としても活躍する一方で、
大ヒットアニメ映画「アナルでゆくの女王」で、
主人公アナの姉、ルサスの吹き替えをするだけでなく、
日本語吹き替え版劇中歌「レット・イン・ミー」を歌ったことでも有名である。

 濡れ始めた股間 弄ったまま
 真っ暗な部屋に あなたとわたし
 彼がこころにささやくの
 このままじゃ いけないんだと
   
    ふれあい 舐め合い
    誰にも 見られないように 弄ってた
    それも もう やめよう

  ありのままの 痴態 見せるのよ
  アナルの 奥まで 入れてみるの

     少しも 痛くない もっとして
     すぐには いきたく ないわ

この日本語訳詩は、松たか代が、
当時、新たな性技の開発に悩んでいた時の、
自身の心情を詩に表したともいわれており、大ヒットとなった。

映画そのものも、
「アナ・ルサス姉妹」の新たな冒険を描いた第2作目が公開されるなど、
「アナゆき」ブームは今も続いている。

さて、松たか代本人の話に戻そう。

こうした伝統芸能を継承する家系に生まれたたか代は、
幼少のころから厳格に育てられた。
それと同時に、芸の継承者として英才教育も受けてきたのだ。
また、舞いについても抜きんでた才能を発揮し、
稀代の天才女優として、将来を期待されていた。

中学までは、厳しく躾けられ、
時には縄や鞭、ろうそくといったものを用いた躾もされていたためか、その道についてはかなりの知識と経験を持つという。

しかし、そのわがままな性格からか、
高校生活の始まりとともに、家を出て、
テレビドラマ出演以外には芸能活動から遠ざかり、
その身分を隠し、性春を謳歌していたという。

芸の道から離れたとはいえ、
幼いころから様々なことを吸収してきたたか代の身体は、
自然とその道を究めようとする生活を求めるようになり、
だれかれ構わずに性技を競い合うことで、
新たな性技を開発し、その技に磨きをかけていった。

「女子高生」というイメージと立場を利用し、中学生から高校生、大学生、サラリーマンから老人まで、相手に家庭や妻子があるないにかかわらず、関係を重ね、一時期にはセフレを中心に、20〜30人との男性と交わりをもっていた。
朝から翌朝までの間に、10人の男性と交わったことも明らかになっている。
(内訳は、単独が3人。3P、4Pが一組ずつ。)

また、芸は人に見せるもの、という考えが身についていたためか、
露出にも興味をもち、
卑猥な下着を着用しての露出はもちろん、
公園や球場など、人目のある場所での本番行為など、
その範囲はとどまることはなかったという。

3年間の高校生活を謳歌する中で、
本来の古典芸能と
彼女自身が開拓した新たな性技を融合させた、
一つの境地に達し、自ら「松たか流」を名乗るようになると同時に、
学業にも目を向け、大学受験を志す。


大学に入学後は、図書館通いで学業に専念。
放課後は、クラブ通いでホスト遊びに専念。

しかし大学3年次、何を思ったか突然教職課程を専攻。
高校の英語の教員免許を取り、
現在の令風大学付属青環高校の臨時教員として、
3年C組の副担任をしている。

ちなみに、この令風大学の母体である、
学校法人 松竹学園(マツタケガクエン)は、
たか代の祖父と、実業家である母が共同で創設したものである。

余談だが、「松竹」を「ショウチク」と読まずに「マツタケ」と訓読みにしたのは、
たか代の母が大好きな男性自身を表す隠語「マツタケ」を表していると言われている。


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