おならごっこ-1
開け放った二階の窓からは蝉の声が響くように聞こえていた。
折りたんだ座布団に頭をのっけて何度も読んだ漫画本をまた読み返す。
大きなおっぱいをした学校の先生が出て来る漫画がちょっとエッチでお気に入りだった。
実家は田舎で家の前は見渡すばかりの水田が広がっていた。
八月の日照りに照らされた水田の蒸気がそのまま風に乗って静かに部屋に漂って来る。
妹が部屋に入ってきた。
僕が六年生だったから妹はふたつ下の四年生だったはずだ。
それ、俺の分やねえんか!?
僕は妹が手にしていたアイスを見てそう言った。
細長いビニールの中に詰められた香料と砂糖が入った水を冷凍庫で凍らせたアレだ。
ええやん、余っちょったんやけん。
アイスは本来10本入り。数えて奇数ずつ食べたら妹と等分した計算になる。
僕は数えて4本食べたので最後に残っていた一本は僕の分という事になる。
妹の言い分は冷蔵庫のものは公共のものだから、見つけた者が食べてもいいという。
どこの家庭にもある小競り合いだ。
確かにそこは僕の考え方であって、母がいくつか齧ったという可能性もなくはないのだ。
そんな事をしばし言い合っていると妹はいきなり僕の顔の上に跨り、瞬く間に顔に尻を押し付けると「ぷぅ」とおならをして笑いながら階下へ逃げ去った。
突然のハプニングに怒るどころか二階の部屋でひとり勃起している僕がいた。
僕ら兄妹の関係は異常だった。
それは後々になってからその意味にたどり着く事だと思うのだが、すでにこの頃から多少なりとも自覚はあった。
オマンコの膨らみ、尻の穴の感触・・・・突発的な興奮に無意識のうちにも抵抗する事もなく、おならの臭いがしたかどうかさえ記憶になかった。
その頃僕をとりまく環境はといえば現世のように情報が多くなく、ましてや田舎の事なので良識じみたものがどこか異質だったのだろう。
例えば今頃の時期など母親は行水で汗を流し、全裸のままで平然とうちの中を歩きまわった。
行水というのは大きなタライに井戸水を張り、そこに体を浸してひとまず日中の汗を流す。
シャワーなどという設備はもちろんなかったからだ。
水道は普通に通ってはいた。だが、煮炊きは水道。洗濯や行水などはまだ井戸水を使っていたように思う。
あと記憶にある事で例えるならば、近所のおばさんなどは乳首が透けるような格好で平然と過ごしている。
その黒く大きな乳首を指さして母親たちと笑い合う。そんな記憶がある。
言ってみれば田舎過ぎて裸族のような認識だったのかも知れない。
性意識にたいして関心が薄いというよりも、逆にオープンだったのかも知れない。
それは後にして知る事だけど、山中にあるお堂に集落の男女が誰彼となく集い、夜明けまでまぐわい合う祭事が本当にあった。
単純に考えると他に娯楽がないからセックスは娯楽だったのだろう。
まあ、それにしても実の兄妹の仲で日常的にセックスを営むというのは確かに異常な事だろう。
しかも小学生の頃からだった。
その頃の僕は妹のオナニーを覗きみて興奮を覚える事が唯一の愉しみだった。
性器を弄って気持ち良くなる事を僕は理解していた。その頃には射精を覚えていたのだった。
それと同じ事でオマンコを弄って妹も気持ちよくなる。
ならばいっその事、互いにセックスして気持ちよさを分かち合えばいいという話なのだ。
なかなかそうはいかない。兄妹の間でセックスしてよいかどうかよりも、子供がセックスしてどうかという疑問を僕は深く意識していた。
箍はゆっくりと外れるにつけてそれは曖昧になる。
小学4年生にして、妹も同じ事を思っていたという事なのだろう。
先に述べたおならの一件について僕は著しい関心を抱いていた。
ほんじゃあ、この前みたいにおならを嗅がしてくれよ。
それは何の事で譲った条件だったか忘れてしまったが僕は妹にそんな事を言い立ててみた。
妹はそれに対してスケベ、ヘンタイと学校で常用する言葉で罵ったが結局は尻を捲って僕の顔の上に座った。
出らんに・・・
あの時はたまたま催して、悪ふざけに嫌がらせたのだろうがそう都合よく出るものではない。
あぁイヤ、スケベ!!
僕は目の前に蠢く妹の肛門に口をつけて息を吹き込んでみたのだった。
思い切り吹き込むとぶぐぅと妹のおなかの中に空気が入る音が聞こえたような気がした。
ぶぅっ・・ぶぅっ・・ぶすぅ・・・
一般におならの平均質量がどのくらいのものか知らないけど、一息がこれほどのおならになるのかと僕は関心した。
たったいま吹き込んだ吐息だったが臭いは微かにおならの臭いがした。
思わず僕は妹の肛門を舐めまわし、妹も二三嫌がりはしても別段抵抗はせずに、そのままの態勢で肛門を舐められていた。
僕らは後々もこんな遊びを繰り返し、僕は恥ずかしながら成人した今でも女性の排泄について性的な興味を密かに抱いている。