黒い光景-1
「ほんっと今日は災難だったな……時間もだいぶ過ぎちゃったし……教室に行くの憂鬱だな……」
知らず知らずに教室へと向かう足取りは重く、この学園へ来てまだ数時間にも関わらず一変してしまった自分を取り巻く環境に頭がついていかない。
『まりあさんが体調を崩して休んでいることは、貴方の担任の先生に報告してありますのでご心配なく』
強く抱きしめられた後、目も合わさず保健室を出て行ってしまった麗。
『……白羽まりあ。放課後あの百合の園に来い。お前の住む部屋に案内するから逃げるなよ』
変わらず命令口調でそう吐き捨てた焔は彼の後を追い、取り残されたまりあはどうすることも出来ずにひとり保健室を出たのだった。
「麗先生大丈夫かな……」
抱き締められた腕をほどいたわけでもなく、彼を拒絶したわけでもないまりあだが後味が悪い。次に会ったらなんて声をかけよう……と考えているうちに教室の前にたどり着いてしまった。
すでに中から教師と思しき低い男の声が絶え間なく発せられ、扉を開けるのには勇気が必要だった。
「スーハーー……」
「ハーーーー……ッ!? ゴホゴホッッ!!」
緊張のあまり息を吐き出しすぎたまりあは激しく咳き込んでしまった。
すると案の定……
『ん? 白羽まりあさんですか?』
どうやらまりあの存在がバレてしまったようだ。内側から響く男の声に、もう後戻りが出来ないと判断する。
「はい、す、すみません遅くなりまし……ッゲホゲホ!!」
――ガラッ
「体調が悪いのなら無理しなくてもいいんですよ。編入されてきた生徒さんはほとんどおりませんが、入学式とされる今日から三日間、規則により授業は行えない決まりなんです」
まりあが重症な風邪だと思い込んでいる男性教師の眼差しはとても優しかった。目元に笑い皺のある五十代くらいのその男は体を一番に考えるようにとまりあに帰宅することをすすめた。
(本当はもう大丈夫だけど……お言葉に甘えちゃおうかな……明日また気持ちを切り替えて頑張ろう)
そう自分に言い聞かせて教室を離れる。それから、早退した自分が行く場所なんてもちろん自宅しかないまりあ。
「家に帰れないってどういうこと? せめて事情を説明してよ……」
(あ、ドラッグストアに寄らなきゃいけないんだった……こんな時間に制服でうろうろしたら怒られるかな?)
名門校に傷をつけるわけにはいかない。そういう不安もあり、まりあは一度帰宅して着替えてから出かけようと模索する。が……
(やだな……なんで今日こんなに鴉多いんだろう)
学園の敷地を出てすぐ視界に飛び込んできた鴉の大群。
激しく鳴き叫び、まるで何かを呼んでいるようなその響きに不吉な予感がする。
そして自宅に近づくほどに鴉の数は増えていくばかりで……
「うそ……なんで、うちなの?」
あやうく鞄とバッグを落としそうになったまりあ。
それもそのはず家の屋根に黒いペンキでも塗られたかと思うほどの黒。そしてベランダの手摺にも、庭にもあらゆる場所に鴉たちがうごめいていたからだ。
そしてこの光景にまりあは見覚えがあった。
まりあを引き取ってくれた養父母が何者かに殺されていた日と同じだった。