この向こうの君へB-3
頭痛い。
顔も、鼻からおでこにかけてズキズキするし冷たい。
「…ん…」
声が出るって事は生きてるんだ。頑丈で良かった。
「稲葉!」
呼ばれて目を開ける。
いつの間にか自分の部屋の布団に寝かされていて、僕を覗き込んでいるのは
「椿さん?」
何で?すずさんは…?
「何、その不満そうな顔」
「そーゆうわけじゃ…」
ゆっくり体を起こして、鼻を冷やしてくれていた氷嚢で顔を隠した。
「隣人ならいないよ。あんたが死んでないのが分かったら壁修理して帰った」
「なんか言ってました?」
「椅子で壁を壊したら手が滑ってそれがあんたに命中して倒れたまま動かないって、血相変えてうちに来たの。事情諸々は聞いた。合わせる顔がないんだって」
「そうですか…」
「あたしに感謝しなよ。寝てるとこを叩き起こされてやたら重いあんたをここまで運んだ上に看病までさせたんだから」
「…ありがとう、ございます…」
「失恋決定だね、ご愁傷様」
「…はぃ…」
「少しの間でも夢が見れて良かったんじゃない?」
「…ですね…」
言われた事を否定できない。だってその通りだもん。あんな風に話せた事が奇跡だったんだ。だから、もう…
「いいの?」
「仕方ないですよ、こうなるの分かってたし」
「あんたってほんと図体の割にちっちゃい男だよね。たまに腹が立つ」
「…すいません」
「すいませんじゃないでしょ、ウジウジする前に直接話そうとか思わないの?」
「だって、言い訳したってこの顔じゃー」
「動かないのはあんたが情けないから!顔のせいにして逃げるな」
「椿さん…?」
びっくりした。
いつも笑っているこの人が真剣に話をして、…泣いてる?
「失恋気取るのはちゃんと振られてからにして、でなきゃこっちもバカにできないじゃん」
「何で泣いて…」
「あんたがだらしないから!あたしはあんたの保護者なのっ、情けなくて涙も出るよ!」
「すいません…」
「帰る。あんたはさっさと振られてきな、爆笑してあげるから」
「はい」
椿さんのぶっきらぼうな応援が嬉しくて自然に笑って返事をしたのに
「笑顔が怖い」
結局最後はバカにされながら椿さんを見送った。泣いた本当の理由なんて考えもせず…
すずさんが施した壁の修理は応急処置のようなもので、ベランダに散らばった破片は綺麗に片付けられて派手に開けられた穴はダンボールでみっちり塞がれている。
向こう側からガムテープで止めたんだろうが、かなり雨風に弱そう。
ダンボールにはでっかく『ごめんなさい』と書かれていた。マジックで何度も重ね書きしたらしく、それは暗闇でもはっきり読めた。
謝るのは僕なのに…
ため息をついて、いつものクセで壁にもたれた。すると、
「ぅわっ!?」
重みに耐えられずダンボール製の簡易壁は一気に僕ごと向こう側へ倒れた。
一斉にガムテープが剥がれて『ズドーン』と大男が倒れる音。
当然すずさんはベランダへ出てきた。
慌てて僕も起き上がる。下敷きになっているダンボールに書かれた『ごめんなさい』が間抜けなくらいリアルだ。
「耕平君なんだよね」
僕達が面と向かって話をするのはこれが初めて。
「ごめんなさい」
返事よりまず謝りたかった。