タバコ屋-3
いびつでささやかな恋愛ごっこに興じている息子。
実家で暮らすようになった彼は意外にもあまり性を求める事はありませんでした。
大抵2,3日に一度、オナニーの手伝いをするだけです。
ある程度身構えていた私も少し拍子抜けしました。
息子の奥手さが母親である私相手にも出ているだけだと気づいていましたが…。
いつまでも遠慮がちな彼の優しさが何となく哀れにも思いました。
優しすぎて損ばかりする。
世の中にはそんな人がいます。
私も亡くなった主人も要領がよい方ではありませんが、いつも馬鹿正直に生きてきた訳ではありません。
時としてずるい事も汚い事も必要だと知っています。
ただただ年を取っていく母親に寄り添って若い息子の人生を費やしてはいけないのです。
母親である私を利用して女慣れし、いい人を捕まえて結婚するくらいの図太さがなければ。
私はもう若くありません。
50を回って更年期障害も終わりかけ、閉経した私に出来ることは限られています。
若い息子の将来への肥やしになる形で枯れかけている私の肉体の最後の一葉を彼に与える事。
いつか息子に悪い影響が出ない事を願って…私は自ら息子のペニスを体内に導き入れました。
息子はずっとそれを望んできたのでしょう。
それでも私を気遣い、決して言い出せなかったのでしょう。
その優しさを思うと、してあげて良かったという気持ちになります。
強い快感と興奮、そしてずっと望んでいた願望が叶った現実に、息子は何度も感極まったような声で私を呼びました。
迷いが無くなったわけではありません。
実の母親相手にセックスをさせてあげている事が彼にとって本当に良い事なのかどうか。
しかし、50過ぎた母親にオナニーを手伝ってもらうだけの性生活をさせるよりは。
彼にとって良かったと言える行為にしてやりたいという思いでした。
セックスは私たち親子にとって思いやりの形でした。
彼はいつも優しく気遣うように私を抱きましたし、少しでも拒めば無理にしようとは決してしませんでした。
一度、私が二度続けて拒んだ時がありました。
その時の事が今も瞼に張り付いて忘れられません。
そういう時、息子は何かに耐えているような辛そうな目をして私から離れました。
それ以来、息子にとって私がいつか必要としなくなる日も来るのだと思いなおし、体調が許す限りは彼を受け入れるようになりました。
閉経した私にとって彼を拒む理由はもうあまり無くなっています。
それは私自身の年齢の影響でもあり寂しくもありましたが、仕方のない事です。
自分がまるで必要とされなくなりつつあるタバコのようにも思えました。
私にとって息子の性を受け入れる事は彼のためでもあります。
しかし、実際は息子が私に手を差し伸べてくれている事でもあるようにも思えました。
そう思えるようになった時、彼に抱かれる事に躊躇が無くなっていき、時に自ら彼を導くようにおなりました。
それは私にとっても息子にとっても大切な意味のある優しい行為になりました。
最近、いつか息子が私を必要としなくなる日の事を想像する事もあります。
ちょうどタバコ屋が世の中で居場所を失っていくのと同じように。
多分それはきっと遠い日ではないでしょう。
その日が来るまで日々の暮らしを生きようと思います。
完