亜紀-26
「どうしたの? 首尾良く行ったの?」
「大変なことになった。もう50万どころの話ではなくなった。此処に25万ある。これをやるから君は身を隠せ」
「え? 何?」
「実家は何処だ?」
「名古屋だけど」
「それじゃそこに行って暫くひっそりと暮らせ。まあ半年もすれば大丈夫だろう」
「何なの? 一体どうしたの?」
「大変なことになったんだ」
「だから大変なことって何なのよ」
健介は管長補佐と滝ノ下でされたことと小屋の中でしたことを除き、今日の出来事を全部語って聞かせた。
「ただでは置かないってどうするつもりなのかしら?」
「分からない。オーム真理教じゃないからまさか殺したりということは無いと思うけど、その可能性もありうる」
「怖いわねえ」
「そうだ。元はと言えば全部君の蒔いた種なんだぞ」
「でもあの女が小野田さんに目を付けたのは私と関係無いでしょう?」
「ん? そうか、言われて見ればそうだな」
「そうよ。それでどうする? 私達」
「何が私達だ。もう君のことなど考えておれんから25万やったんじゃないか」
「やったって言ったって、私受け取って無いわよ」
「それじゃ受け取れ、ほら」
「要らないわ。それに小野田さんはどうするつもりなの?」
「僕ももう潮時だからなるべく早く遠くに移ろうと思うが、具体的にはまだ何も考えていない。君と違って実家がある訳でも無いし」
「小野田さんは何処の出身なの?」
「東京だが、もう親兄弟はいないし、親戚付き合いなんかしているのは死んだ妻の兄さんだけだ。まあこれも葉書のやりとりだけだが」
「それじゃ一緒に私の実家に来る?」
「馬鹿な。なんで僕が君の実家に行くんだ」
「だって取りあえず行く所が無いんでしょ?」
「それにしたって20才の娘が40才の男を実家に連れ帰ってどう説明する気なんだ。教団の話をしたって何処までまともに聞いてくれるか分からんぞ。管長補佐だって殺すだの傷付けるだのという言葉は一切言って無いんだからな」
「でも婚約者なら実家に行ってもおかしくは無いじゃない」
「そんな芝居が君の両親の前で通ると思うのか」
「だって芝居じゃ無いもの」
「何を言ってるんだ君は」
「だってもう管長補佐の前で2回も婚約者になったのよ」
「だからそれは芝居だろう?」
「違うわ。本当に婚約して後で解消すればいいって言ったじゃない」
「そんなものは婚約とは言えん」
「それじゃ後で解消しないで結婚すればいいじゃない」
「何? 君はこの期に及んでまだふざけているのか」
「ふざけてないわ。真面目よ」
「呆れたな」
「ね、私の実家に一緒に行こう。結婚が厭ならそれは後でなんとでもなるでしょう。取りあえず行こう」
「君の実家は何やってるんだ?」
「農家よ」
「名古屋で?」
「うーん、だから昔農家よ」
「今は?」
「今は何もしていない」
「何もしていないでどうやって食ってんだ」
「間貸ししてるから」
「それじゃ君が帰っても住む部屋は無いんじゃないか」
「それくらいあるわよ」
「しかしそんな家にやっかいになる訳には行かないな」
「いいじゃない、間借り人になれば」
「あ、なるほど間貸しが商売なら、借りればいい訳か?」
「そうよー」
「それなら別に婚約者ということにする必要も無いじゃないか」
「そうは行かないわ。いきなり男を連れて帰って『この人が部屋借りたいと言ってるから貸してやって』というだけじゃ親だって納得しないわよ」
「うーん、それはそうだな」
「でしょう? だから一応婚約者ということにしておいた方がやっぱりいいのよ」