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亜紀
【その他 官能小説】

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亜紀-1

 健介の職場は駅前の雑居ビルの中にあり、自転車置き場が無いので駅の無料自転車置き場に置いてから歩いてくる。健介の職場は朝がかなり早くて6時半から始まる。その代わり特別なことが無ければ3時半には仕事が終わる。駅前の自転車置き場は電車で都心に向かう通勤や通学の人向けに設けられているので朝のラッシュアワーが始まる頃には置き場所が無くなって付近に無秩序に自転車が溢れるような状態になるのだが、6時ちょっと過ぎだと嘘のように空いていて人影もまばらである。入り口近くは帰るときに便利だが、いたずらされたり壊されたりすることがあるので、少し奥の方に入れることにしている。

 すると自転車置き場と線路との境の空き地に女の子が1人座っていた。立て膝してその上に腕を組んで顔を伏せているから眠っているように見えた。昨日は日曜だったから遊びすぎて始発で帰ってきてそのままそこで休んでいる内に寝てしまったのだろうと思った。朝帰りでは、せめてお父さんが出かけてから帰りたくなるだろう。そこで時間を潰している内に眠り込んでしまったのだと思った。顔は見えないがまだ高校生くらいのようだ。

 自転車を置いて出てこようとすると女の子の声が聞こえて、寝ているのではなく泣いているのだということが分かった。何故ということもなく健介は慌てしまい、脇の出入り口から少女に近づいていった。

 「あの、これ上げるからバスで帰りなさい。近い所ならタクシーに乗っても足りるだろうし」
 と言って1000円札を少女に差し出した。少女は顔を上げて健介をきつい眼で睨んだが、その眼には涙が溢れていた。健介は更に慌てて1000円札を少女の膝の上に置いて後ずさりしながら言った。

 「いや僕も自転車を盗られたことがあるから気持ちは良く分かるんだ。本当に酷い奴がいるんだよ、此処は」
 少女は涙を拭おうともせず健介を見つめていたが何も言わなかった。健介はそのまま視線の圧力に押し戻されるように後ずさり、自転車置き場から遠ざかった。
 
 健介の職場は、或る小さな宗教団体である。悩み事なんでも相談などという怪しげなチラシが頻繁に新聞に折り込まれ、その片隅に経理事務経験者募集と書いてあったので、丁度その頃そろそろ働こうかと考えていた健介は応募して採用されたのだった。
 それから僅か2年でこの宗教団体はあっという間に莫大な金を儲けてもう少し都心に近い所の駅前にビルを建ててしまった。それで健介もそちらのビルに移れというお達しだったのだが、何しろ自宅に近くて通うのに便利だから、上層部に掛け合ってこの雑居ビルに残ったのであった。雑居ビルの2階と3階をこの宗教団体が借りており、1階は喫茶店になっていた。4階には学習塾、5階には聞いたことの無い横文字の名前の保険会社が入っている。
 2階が小さく6つの部屋に仕切られていてそれぞれが相談室ということになっている。3階が事務所で健介は此処に机を置いて仕事をしているが、ちょっと他の会社と変わっているのは喪服のような黒い服を着た中年のおばさんが10人ばかりいて、これがそれぞれ小さい机を持っている。普段は奥のソファーでお茶を飲んだりお喋りしたりしていることが多く、机の中は週刊誌くらいしか入っていないのでは無いだろうか。
 これらの中年のおばさんは互いに先生と呼び合い、健介のような先輩にも先生と呼ばれることになっている。いずれもどぎつい化粧をしており、化粧をすれば女は綺麗になるはずだが、彼女達の場合は怖い顔になっている。薄暗い相談室で悩みを抱えた善良な人達を水子の霊が付いているなどと脅して金を出させるのが仕事だから、わざとそういう風に化粧しているのかも知れないが、どうも当人達は綺麗に見えるように化粧している様子だからもともと化粧の似合わない顔なのだろう。
 世間話などしてみれば全くそこらにいる中年のおばさんと変わらないのだが、彼女たちは相談室に入ると殊更重々しい喋り方をし、大げさな身振りをする。健介は相談室の中を覗いたことがある訳では無いが、時々新人のおばさんが入って来ると古手のおばさんが話の仕方を実演して見せているから知っているのだ。要するにこの宗教団体は一応真言宗を名乗ってはいるが、教典なんか読んだことも無いようなおっさんが作り上げた集金組織なのである。入って直ぐにそれが分かったけれども通勤に便利だし転職なんてそんなに簡単には行かないのでなかなか辞められずにズルズル2年も経ってしまった。
 そんな訳だから健介は職場では極力付き合いを避け、終業時刻が来ると飛ぶように帰ることにしている。


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