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亜紀
【その他 官能小説】

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亜紀-2

 翌朝いつものようにいつもの時間に自転車置き場に入って行こうとすると、どこからか少女がつかつかと近づいてきて声を掛けた。
 「おじさん、これ」
 「あ、昨日の子か。昨日は無事に帰れたかい?」
 「うん有り難うお陰様で帰れました。と言っても意味は全然違うんだけど」
 「え?」
 「おじさん、あのビルで働いているんでしょう?」
 「あ、そうなんだけど、何で知っているの?」
 「だって昨日歩いてあのビルに入っていくのを見ていたもの」
 「ああそうか」
 「昼休みに出てこれない? ちょっとおじさんに聞いて欲しいことがあるんだけど」
 「昼休みね、別に今だって構わないよ。電話すれば30分でも1時間でも大丈夫なんだ。でも話って何?」
 「うん、此処じゃあれだから向こう側の喫茶店に行かない?」

 階段を上って線路の上にある改札の前を通り、駅の反対側に降りると朝早くから営業している喫茶店があるのだ。自分の子供と言ってもいいような年の差がある女の子と一緒に駅の反対側まで歩きながら、一体なんの話だろうと思った。自転車泥棒の心当たりがあるかという話ならこっちが聞きたいくらいだし、喫茶店に行って話す程のことでも無いだろう。
 店のレジの所の赤電話で職場に電話して1時間ほど遅れる旨告げた。まあ何の話か知らないが5分か10分程で終わるだろうとは思ったが、その後1人で偶にはゆっくりコーヒーでも飲んでみたくなったのだ。

 「さあ、時間はたっぷりあるけど何の話かな」
 「おじさん昨日は有り難う」
 「ああ、いいんだよ。僕も自転車をあそこで2回も盗まれてね、盗まれた時の悔しさ悲しさ憤りは良く分かるんだ。それに、僕のうちは歩いてもたいしたことは無いんだけど、自転車で20分も30分もかかるような所だと歩いて帰るなんて大変だからね。泣きたくもなると思うよ」
 「あのね、おじさん。私自転車を盗られて泣いていたんでは無いの」
 「へ? それじゃどうして泣いていたの?」
 「うん、それを聞いて貰おうと思って」
 「ほう、どうしたの? どうして泣いていたの?」
 「私失恋したの。それで・・・」
 「失恋か。懐かしいなあ、いやいや失礼」
 「もう会いたくない、別の男を探してくれってメールを打ってきて。私それじゃ納得行かないから一昨日彼のアパートに行ったんだけど留守で、ドアの前で待っていたら終電過ぎちゃったの」
 「そうか、それは辛いだろうね。人と別れるのは辛いことだものね」
 「分かる?」
 「分かるさ、失恋では無いけれども僕も女房と辛い別れをしたから」
 「失恋では無いと言うとおじさんが振ったの?」
 「まさか、交通事故で死んだんだ」
 「えー、本当? いつのこと?」
 「もう3年前のことだよ」
 「そうなの。それは失恋よりも辛いのかもね」
 「いや、どんな小さな悩みでも悩んでいる当人にとってはそれが世界で1番大きくて重たいことなんだよ。あれより辛い、これよりましというような比較は出来ないんだ」
 「おじさん、いいこと言うのね。昨日ね、あそこで1人で考えていたら死にたくなったの。それで線路に飛び込んで死のうと思ったけどその前に泣きたいだけ泣こうと思って泣いていたの」
 「そうかあ、それはいけないね。死ねば楽になるだろうけど自殺というのはいけないことだよ」
 「どうして?」
 「うん、君は好きでこの世に生まれてきた訳では無いだろう。誰もそんな人はいないんだ。気が付いたらこの世に生まれていたんだよ、みんな。好きで生まれて来たのなら厭になったら死ぬことも出来る道理だけど、生まれたり死んだりというのは自分の意思とは別の所で決められているのさ。僕はそう思うよ。だから病気や事故で死ぬまでは厭でも生きていかなければいけないんだよ」
 「おじさんはそう思って生きているの?」
 「そうだね、そう思って生きているね」


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