『第2章 その秘密の出来事は』-21
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「秋月くんとの間にできた子供なんです」
利恵はうつむいたまま静かに言った。
ケネスは目を見開き絶句した。
利恵は目にうっすらと涙を浮かべている。
「私、剛さんと結婚することを心に決めた時に、もう一つ決意したことがあるんです」
「も、もしかして、それが遼くんの子を宿すこと……」
利恵は頷いた。
「剛さんのお父さんの正さんには妹さんがいて、このすずかけ町に住んでいることを知っていました。私は県北、篠原家は横浜の出なんですが、その妹さんはこの町の秋月家に嫁がれたんです」
「そやったんか……」
「ですからうちの主人の剛さんと秋月遼くんとはいとこ同士」
「なるほどな」
「秋月くんがその時高校生だったことと私が教育実習をしなければならなかったこと、その二つのことが私のもう一つの決意に繋がったんです」
「そうか、そやからわざわざ遼くんが通う高校に実習を頼み込んだっちゅうわけか」
「初めから彼を誘惑して、子供を宿してもらうつもりでした」
「離れて暮らしていたとはいえ一応親戚やからな、剛くんと遼くん」
「はい。せめてその血の繋がりは残したいと……それに剛さんと遼くんは顔がすごくよく似てるんです。そう思いませんか? ケニーさん」
ケニーは小さく何度も頷いた。「言われてみれば、確かに……そやけどこの事実、剛くんは気づいてへんのか? まだ利恵さんから打ち明けてへんのやろ?」
「わかりません。詳しく調べれば遙生を妊娠した時期と、剛さんと最後に繋がり合った時期にずれがあることはわかります。もしかしたら遙生が自分の子ではないことを知っていて、それでも知らないそぶりを見せているだけかも知れません」
ケネスは考え込んだ。
「ちょくちょく店に来る時に見とる限り、剛くんは遙生をめっちゃ可愛がっとるし、少なくとも親子の確執があるようには思われへんけど」
「はい。それはとてもありがたいことだと私も思います」
「そやけど、自分の息子が他人の子かも知れへん、って思てたら、いずれ先生にも不信感を抱くんとちゃうか?」
利恵は頷いた。
「あり得ます」そして顔を上げ、ケネスをすがるような目で見た。「どうしたらいいでしょう……」
「遼くんにはずっと秘密にしておいてもええと思うけど、剛くんには……いずれは」
ケネスは困った顔をして黙り込んだ。
◆
ケネスは三日ほど悩んだあげく、やはり利恵から聞いた事実――遙生が秋月 遼の子であること――を夫である剛に知らせる決心をした。
「やあ、ケニーさん。お邪魔します」
逞しい胸板にはち切れんばかりのワイシャツを着て濃紺のネクタイをした篠原 剛は店に入るなり大声を出してケネスに近づいた。
「すまんな、わざわざ呼び出したりしてもうて」
「どうってことないです。今は歩くのが楽しくて仕方がないんです」
「まだ少し引きずってるようやな」
「完全に元通りにはならないかも知れませんね。歳もとってきたし」
「なに言うてんねん、まだ四十前やないか。まあ座ってんか」
「ありがとうございます」
剛はその筋肉質の身体に似合わない可愛らしい笑顔でそう答え、壁際のテーブルに向かって座った。
「君に初めて会うたんは、いつやったかいな。もうずいぶん経つような気がすんねけど」
剛は指を折りながら言った。「13年前ですかね」
「もうそんなになるんやな」
「この町に来た時からずっとお世話になっちゃって」
剛は恐縮したように頭を掻いた。
「なんでいきなりこの店に来たんや? あの時」
「そりゃあ、シンチョコと言ったら町のランドマークって聞いたからです。それに、この店のマスター『ケネス・シンプソン』という人に訊けば、この町のことは全てわかる、って駅の案内所のおばちゃんが言ってましたから」
「その話は初耳やな。あの頃の駅の案内所のおばはん言うたら……ゆず子さんやな……まったくお節介なおばはんや」
剛は笑いながらカップを口に運んだ。