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「お兄ちゃん!」
「おお、よく来たね」
川島雄介は大学三年生、誰でも知っていると言って良い一流大学に通っている。
今は夏休み、と言っても塾講師のバイトをしている雄介にとってバイトの方は夏期講習の真っ最中で忙しい、休めるのはせいぜい一週間、お盆の期間中も講師を続けていた雄介は八月の最後の週にやっと休みを取った。
長野の、しかも避暑地としても人気のある白馬町の出身である雄介は夏休みには実家に帰るのを楽しみにしている、蒸し暑い東京で受験勉強に精を出す小中学生に付き合うのは神経も体力も消耗する、涼しい田舎で自然に囲まれてのんびりするのはいいリフレッシュになるのだ、今年もそうするつもりでいた。
ところが実家に電話すると、母は妹が東京見物をしたがっているのだと言う。
「二泊ぐらい泊めてやって案内してやってくれない? それから一緒に帰ってきてくれればなお安心なんだけど」
妹の麻衣は十六歳になったばかり、高校一年生だ、雄介は五歳下のこの妹をかわいがってよく面倒を見てきた。
雄介の両親は二人とも教師、共働きで普段帰りが遅い分、雄介は幼い妹の面倒を見ざるを得なかったのだが、それほど重荷に感じたことはない、五歳も下だと喧嘩の相手にもならないし、麻衣も雄介を慕ってよく言う事を聞いたので可愛がって来た。
その妹が義務教育を終えて、高校生活初めての夏休みに東京に来たいと言うならば面倒を見ないわけには行かないだろう。
「ああ、いいよ、いつ来るの?」
「お前が休みに入るのはいつ?」
「今週の土曜から一週間」
「そう、ちょっと待って」
電話の向うから母と妹の声がしている、電話しても出るのはいつも母なので妹の声を聞くのは久しぶりだ。
「土曜日に行きたいって、でも金曜まではびっしりなんでしょ? 日曜にさせても良いけど……」
「いや、構わないよ、俺もいい加減遊びたかったとこだから、中央線だろ? 新宿まで迎えに行ってやるよ、初めてだと迷いそうだからね」
「ありがとうね、じゃ、列車が決まったら知らせるから」
「ああ、そうして、何両目かもね、新宿駅はいつだって混雑しているから見つけるのが大変なんだ」
そんなやり取りがあって、雄介は新宿で麻衣を出迎えたのだ。
「良く一人でここまで来れたな」
「えー? だってもう高校生だよ」
麻衣がわざとらしく口を尖らせる。
「ははは、悪い悪い、どうも麻衣はちっちゃい頃のイメージが抜けなくてね」
雄介が東京に出て来る時、麻衣は小学校を卒業したばかり、実家に帰ればもちろん顔を合わせているのだが雄介の中では麻衣はまだ小学生のイメージが強いのだ。
「ちょっとは大人っぽくなったでしょ?」
「大人っぽい? それは無理だな」
「ひどーい」
「いや、麻衣に限らずだよ、高一なんてそんなものさ」
雄介がそう感じるのにはちょっとした訳もある。
この春まで約一年半、雄介は二つ年上の女性と付き合っていたのだ。
喧嘩別れしたわけではない、二年早く大学を卒業した彼女は郷里の札幌に帰らなくてはならなくなり、会えなくなったのだ。
彼女の名前は由紀と言う。
当初はよく電話をかけあっていたものだが、離れているうちに段々と電話の間隔が空く様になり、最近は週に一本メールを交換する程度、まだ恋人が出来たということもなさそうだがお互いの気持ちは小指一本でつながっているかどうかと言う程度になっている。
今はそんな状態ではあるが、田舎出の雄介にとって、地方とは言え大きな都市出身の由紀は最初から大人びて見えたし、色々と教わってもいる、雄介に初めて女性を教えてくれたのも由紀、それ以来しばしば肌を重ねて雄介を一人前の男に仕上げてくれたのも由紀だ、その由紀と比べれば、いくら髪を染めて厚化粧して大人ぶって見せていても高校生は高校生、まして高一ではまだまだ子供にしか見えないのだ。
「でも、やっぱり東京だね、奇麗な人が沢山いる」
「まあ、外見を繕ってるのが多いだけさ」
「そうかなぁ……なんか気後れしちゃう」
「そんなこと感じる必要はないよ、東京で暮らしてる人の半分以上は地方出身さ、ちょっと都会に慣れてるかどうかの違いだよ」
「慣れてるのと慣れてないのの差は大きそうだけど……」
「いや、ホントに表面上だよ、友達なんかでもなんかのきっかけで同郷とわかると方言が出るしさ、合コンなんかでも同郷とわかるといっぺんに打ち解けたりしてね」
「そんなもの?」
「そんなものさ」
雄介と由紀は同郷というわけではなかったが、雄介は白馬、由紀の札幌と同じように雪深い町の出身、雪の話で意気投合したのだ、一見東京に馴染んでいるように見えても一皮剥けば故郷の雪にさえ懐かしさを憶える、それが判ってすぐに親密になったものだ。