B-9
「おかしなことついでに、もう一つ訊かせてくれないか?お前、私服は自分で買ってるのか。」
「なんですか?それ……。自分で買ってるに決まってるじゃないですか。」
答える吉川の顔が、益々、不機嫌になる。
「じゃあ、今度、服を買いたくなったら、妹さんに見立てを頼んでみろ。勿論、お礼を弾むと言ってな。」
「言ってる意味が判りませんよ。」
「妹さんが本当に嫌がってるのなら、お前に金品をねだったりせず、親父さんかお袋さんに直接、頼みに行くはずだろ。」
「あっ……。」
さっきも言ったが、当事者になると周りが見えなくなる。
「兄貴ぶって、妹さんの言動に干渉するから煙たがられる。そして、お互いが意固地になったまま、引っこみがつかずに何年も過ぎてしまった。
案外、妹さんは、距離を縮めたいと思って、金品をねだってるのかも知れないな。」
「先輩……。」
「但し、距離が縮まっても、それ以前のように干渉し過ぎちゃ元の木阿弥だ。
妹だからと、あれこれ言いたいのは判るが、そろそろ一人前に扱ってやることが必要じゃないか。」
吉川の顔に笑みが戻る。ようやく機嫌を直してくれたようだ。
「ありがとうございます。今夜にでも、言ってみます。」
「ああ。くれぐれも力を抜いてな。」
今日一日、俺の謝罪をきっかけにして吉川と対話を繰り返した事で、少し、判り合えたようだ。
しかし、この先にはもっと高い障壁が、二人の間に待ち受けている事だろう。その時、俺は当事者となる訳だが、今のように、俯瞰的な対応が出来るのかは判らない。
むしろ、ドンキホーテのように、無謀な過ちを選ぶのかも知れない。
「それじゃ、お疲れさま。」
午後八時──。ようやく、仕事を終えて帰宅の途に就く。会社を出て、車の待つ駐車場へと向かう途中で、亜紀の顔が思い浮かんだ。
「──そう言えば、帰る前に連絡しろって言ってたっけ。」
今朝の温かな見送り。そんな家族の団らんらしきものが待っていると思うだけで、自然と口許が緩んでしまう。
社会に出て、忘れ掛けていた温かい団らんの日々を、あの日、亜紀が思い出されてくれた。
そんな事を考えている時、先にスマホが震えて着信を知らせて来た。
「あいつ……。」
掛けてきたのは長岡だった。
「──はい。藤野ですが。」
俺が電話を繋ぐと、長岡は開口一番、こう言い放った。
「酷いじゃない。朝から、あんな扱い受けるなんて思いもしなかったわよ!」
「何の話だよ?」
「あなたの部屋を訪ねて来た女よ。私に嘘を吐いて、子連れの年増と付き合ってたなんて。なんて男よ!」
その怒気を含んだ言葉から、朝っぱらから長岡の機嫌が悪かった理由を、俺はようやく読み取った。
しかし、彼女の大いなる勘違いで怒りをぶつけられる謂われはない。俺は、殊更に感情を抑えるよう自分に言い利かせた。