ゴカイノカイギシツ-5
「まぁ、それはそうだね」
「でしょ?まぁ、その現場にいなかったアタシは、アンタと由哉の話から想像するしかないから、アレだけど。きっとタナケンはハルカと別れたくてキスした訳じゃないと思うよ」
「…そう、でしょうか…」
「あぁ、もうっ。アンタはもっと自分に自信を持ちなさいっ。アタシのさっきの話聞いてた?タナケンは、浮気するようなオトコじゃないし、まして既婚者に手を出すようなオトコじゃないわよ」
空になったジョッキをドンっと置いて、また店員さんを捕まえるミチルさんは男前だ。
「オレも、そう思うよ。一番近くにいる稲生さんも、そう思ってるんじゃない?でもあんな現場見ちゃって、ちょっと混乱してるんだよね」
そっか。私、混乱してるのか。
「さっきも言ったけど、ハルカがどうしても許せないっていうならそれはそれで仕方がないわ。事故だろうがなんだろうが、タナケンが違うオンナとキスしたのは事実なんだし、非はタナケンにあるもの。でも、混乱してるだけなんだったら、タナケンの言い訳をちゃんと受け止めてあげなさい。それから最後通牒渡してもいいじゃない。じゃなきゃアンタが絶対後悔する」
確かに、そうかもしれない。
「稲生さん、ミチルはこういう性格だからさ。なんでもかんでもすぐに白黒つけようとするけど。稲生さんが少し時間と距離を置きたいって言うんだったらそれはそれでアリだとは思う。でもこういうのって、時間を置けば解決するものではないと思うんだ。まして、毎日とは言わなくても顔を合わせなきゃいけない訳だからさ」
「ねぇ、ハルカ。辛かったら辛いって言っていいし、泣いたっていいんだからね。アンタは新人の頃から自分で抱え込もうってするコだったけどさ。幸か不幸かアタシにしても由哉にしても、一応はタナケンと通じてる人間だしさ。仲介にアタシらが必要なら、アタシら夫婦はいくらでもアンタのために動くんだからね」
隣に座ったミチルさんが私を抱きかかえて頭を撫でながらそう諭してくれて。私はその言葉に甘えて少しだけまた泣いた。
「さっ。飲もっ。せっかく久しぶりにハルカに会えたんだから」
私が落ち着くと、背中をぱんっ、と叩かれた。新人の頃から、私に気合いを入れてくれるその動作。
「ミチル、明日も明後日も仕事なの忘れんなよ」
「もー、つまらないオトコねぇ。ほら、ハルカ食べなさい。アンタ痩せたんじゃないの?ちゃんと食べてるの?」
最愛のダンナさまに悪態をつきながらもこちらを気遣い、お皿にいろいろと取り分けてくれる。もちろん、寺島係長にも。その後はさんざん2人に笑わせてもらって飲んで、また笑って。
「ごめん。稲生さんに迷惑かけて」
日付が変わる直前までその店で飲んで、いい加減酔っ払ったミチルさんがラーメン食べると言い出した。お陰でミチルさんの終電が先に出発してしまい、寺島係長も終電を逃した。おまけにミチルさんが潰れてしまい、ウチに泊まってもらうように勧めたのだが、ミチルさんだけならともかく、と丁重に断られ寺島係長が急遽手配したビジネスホテルまでお見送り。その建物の隣が私が叔母から譲り受けたマンションだ。
「いえ、迷惑かけたのはこちらのほうで」
「迷惑なんかじゃないよ。ウチら夫婦にとって、稲生さんは大事な娘みたいなもんなんだから。ミチル、会うたびに稲生さんはどうしてるってうるさいんだよ?」
「そうだぁ。ハルカをぉー泣かすヤツはぁ、アタシが許さないんだからぁー」
意識があるんだかないんだか、ミチルさんがくだを巻く。
「本当に今日はありがとうございました。ご馳走様でした」
結局居酒屋でもラーメン屋でも、一銭も受け取ってもらえなかった。
「また、明日ね」
「はい、また明日。おやすみなさい」
おやすみ、とホテルのエントランスの前で別れたけれど、寺島係長はミチルさんを抱えたまま、私が隣のマンションのエントランスに入るまで見送ってくれた。
部屋に入り、リビングのソファにバッグを置いてキッチンで手を洗い、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。ほとんど空っぽなのは、普段ここで生活をしていない証だ。
ソファに身体を投げ出して、少し迷ったけれどスマホの電源を入れる。着信はすべて田中課長からで、最後のものは日付が変わる前のものだった。さすがにもう寝ているだろう。この時間から口論になったり、別れ話を切り出されたりしたら、さすがに明日の仕事に影響が出そうだ。ラインは怖くて立ち上げられず。のろのろとベッドルームへ向かい、そのまま充電器にセットする。そのままベッドへダイブしたいのを必死でこらえ、バスルームへ向かった。
服も下着も脱ぎ捨てながら、ここで、課長に抱かれた日のことを思い出す。あれは、課長からあの部屋の合鍵をもらった翌日で、2人で荷物を取りにきたのだ。初めてこの部屋に人を迎え入れた。初めて手料理を食べてもらって、美味しいって誉めてもらって。前の日もかなり激しく愛し合ったのに、課長はここで私の服を丁寧に、優しく脱がせて。鏡に映る2人の裸体に興奮したのか、洗面台に手をつかせて、後ろから入ってきた。明るさと、鏡に映る光景が恥ずかしすぎて目を瞑る私の耳に、
「ほら。ちゃんと目を開けて。誰とセックスしてるのかちゃんと見て」
そう煽りながら腰を打ち付け、左手は胸を、右手はクリトリスを刺激した。
「ルカ、すごい濡れてるし、締まってるぞ」
「いやぁ」
「イヤなら止めるか?抜いていいの?」
抜く気がないのは、動きでわかる。それでも抜いて欲しくなくて、必死に頭を振ったのを今でも思い出す。
あれだけ連絡をしてきてくれていたってことは、佐瀬さんと一緒じゃなかったってこと?それともいつかのように倉庫でキスの続きをしていたの?