篠原真梨恵(31)-9
鳴り続ける電話を前に、俺はどうしたものかと硬直していた。
着信は、和也先輩からだ。
遊びまくりイケイケドンドンな表面で隠してはいるが、中身は案外チキンな俺である。
あのハメ撮りビデオレターを真梨恵が突きつけて、離婚届にサインを要求したことは聞いているから、和也先輩がそのことで俺に電話をかけてきたのは明らかだった。
撮るときは夢中だったが、後からだんだん恐くなってきた。俺のスマホから送った例の動画を、真梨恵がいざ先輩に見せるという連絡をくれたあたりから、
(どうなるんだろ……)
落ち着かない心模様が続き、
(撮っちまったもんは、今さらどうしようもない!)
開き直る心境になったかと思えば、また不安が渦巻き……という不毛なループに悩まされた。
俺、殺されるかも。
そして和也先輩から電話である。
チキンな俺が怯えまくったが、もう一方の俺が「殺されるなら殺されるで覚悟決めようぜ。十分楽しんできてるんだし」と顔を出し、スマホをタップして電話を受けた。
「……もしもし」
やっとの思いで俺はかすれた声を発した。
ところが拍子抜けするではないか、和也先輩は別段の屈託もないような口ぶりで、
『よう。元気?』
などと尋ねてきた。
『元気に決まってるか。あんだけ勃起するんだもんな』
先輩はカラカラと笑った。
『真梨恵、出てったよ。もう本人から聞いてるかな』
「いや……まだ」
『仕方ないよな。俺がダメすぎたんだもんな』
乾いた笑いは、自暴自棄になっての開き直りか。怒りも通り越した諦念のようなものが、先輩の声からは窺い取れた。
『俺、実家に転がり込むことにしたよ。父ちゃん母ちゃんもいい歳だけど、スネかじりながら今後のこと考えようと思う』
「そう……ですか」
真梨恵が差し出した離婚届に、先輩は大人しくサインをしたようだ。あんなビデオレターを見せられ、心が折れた状態だったに違いない。
ノリノリで撮っておいて今さら何だが、先輩も哀れな人である。もともと真梨恵を寝取る気満々だった俺が、離婚の仲立ち役までつとめることになったのだ。先輩の全く知らないうちに真梨恵と懇ろになって、である。
『で、真梨恵とはどうなの? セフレ関係、続けんのか?』
ここからが本題とばかり、先輩は声のトーンを変えた。
「ええ、まあ。でも、そのことに関して、先輩から何か言われる筋合いはないと思いますよ」
ゴチャゴチャぬかされる前に、俺は釘を刺した。
『いや、そういうんじゃないんだ』
またも肩透かしをくらった。
先輩ははにかんだみたいに、
『その……あれ、良かったよ、すっごく』
俺を唖然とさせることを言った。
『めちゃ興奮した! 仕事ダメになってから、俺、インポ気味だったんだけど、あれ見せられた後で痛いくらい勃ってさ……。真梨恵のスマホで見せられたから、手元にないんだよ、あれ。また見てえんだけど。それに、まだあいつと付き合うんなら、新作も撮れるだろ? どうかな、前のデータと、これから撮るハメ撮り……俺に送ってくれねえ?』
空いた口が塞がらなかった。意識すら遠ざかりかけて、しつこくせがむ先輩の声はただの音と化し、耳を通り過ぎた。
俺は通話を切った。
修羅場を想定したぶんだけ、虚無感が大きい。
和也先輩は、どこまでもろくでなし人間に堕していた。
絶縁状として叩きつけ、先輩を傷つけることが目的の悪意ある動画だったのに、それを享受して大喜びするほど、クズみたいな男に成り下がっていた。
真梨恵を寝取って、心で嗤っていた相手ではあるが、それでも先輩とはよく遊んで楽しく付き合った間柄だった。
敵なのか味方なのか、俺の心境は極めて身勝手だが、湧き上がる哀しさは抑えようがなかった。
セフレの人妻からのメッセージなど、その後も携帯はひっきりなしに鳴ったが、俺は返信を打つ気力すら喪失していた。
黙って独り酒を舐め、夜は更けていった。
匂いフェチ真梨恵と撮るビデオレター 〜了〜