A-8
食事は終わり、デザートが運ばれて来た。
「これ食べたら、次は何処に行く?」
「へっ?」
俺は、口に運んだデザートを危うく落としそうになる。
食事中、既にワインを二本空けていたし、時刻は十時に迫っている。いくら本人が望んでいるとは言え、既婚者の彼女がこれ以上、酔って遅くなるのは家族に申し訳なく思う。
どうしようかと思ったが、俺はその辺を聞く事にした。
「なあ、長岡。」
「なあに?急に改まって。」
「その……。そろそろ帰った方が良くないか?」
俺の一言で、それまでにこやかだった長岡の表情は一変し、怪訝そうな目をこちらに向けた。
「どういう意味?」
「いや、その、あまり遅いと、旦那さんとか心配するんじゃないかと思ってさ。」
先程までの楽しい雰囲気は止み、代わって気まずい沈黙が流れる。何とも居心地が悪いが、こういう事は、きちんとしておくべきだ。
「あのさあ……。」
長岡は視線を落とし、俯き加減でそう言った。
「──私が結婚してるなんて噂、何処で聞いてきたの?」
「ど、何処って、長岡って名字なのは、そう言う意味だろう。」
俺は、推論を展開する。すると長岡は、不敵な笑みを浮かべた。
「バカね。結婚なんかしてないわよ。」
「ええっ!だ、だったら、なんで名字が?」
「それはね──。」
彼女によれば、長岡は母親の旧姓で、父親の死別によって母親の実家に身を寄せた為、改姓したとの事だ。
「──六年生の半ばで転校したのは、そう言う理由だったのよ。」
つまり、全ては俺の勘違いだったのか。
「すまなかった。知らなかったとは言え、君を傷付けてしまった。」
早とちりの上、他人の不幸な過去をほじくり返す様な真似をした事が、俺の心を責め立てる。
「──いかんな、他人の気持ちを理解しない人間は。無意識に相手の心を潰してしまう。」
自虐の念が口を吐いた。唯、頭を垂れるしかなかった。
そんな俺に長岡は、手を差し述べてくれた。
「何よ、それ。私は傷付いてないし、和哉はちゃんと、他人の心が判る人間だよ。」
「そう言ってもらえると、助かるよ。」
「こっちだって、誤解が解けて何よりだわ。」
そう言って微笑む長岡の姿に、俺は何故だか、懐かしさの様なものを感じた。
「さあ、この話はこれで終わり。それより、次は何処に行く?」
こちらを悪戯っぽい目で覗き込む仕種も、何故かデジャブを感じた。
「わかったよ。君には負けたよ。」
俺達は河岸を変える為、トスカーナを後にした。
彼女が言ったように、過去を忘れるなんて出来っこない。それに、俺が他人の心が判る人間だとは、とても思えない。
むしろ、彼女の方こそ、俺なんかよりも大人だ。
唯、あの笑顔に触れた瞬間、安らぎと共に感じた懐かしさは何だったのだろう?