亜美-30
ボトム通信の方は各自頭を絞って雑誌に相応しい記事を最低2つは考え出して作ることとされており、この会社は何によらず全員で頭を寄せ合って協議して決めるということが無い。何か決める必要のあることは誰かが勝手に決めて他の誰かがそれに不服だとその2人の間で話し合うことになるらしい。その場合に誰の意見が重みを持っているかと言うと、どうも礼子の意見が1番尊重されているようだ。
中田も此処では早くも一人前扱いとされてしまい、誰かに命じられることも無い代わりに誰かに相談することも出来ない雰囲気なのである。経験の乏しい中田は誰にも頼ることが出来ないので、社にいる時は過去のボトム通信をずっと見ていた。まるで大学受験の時のように「傾向と対策」と呟きながら何年分も遡ってボトム通信をめくって見ていた。中田は考えるより先に行動するというタイプではないのである。誰も教えてくれないのなら、過去に発行された雑誌に教えて貰うしかないと考えた。そんな訳で中田が社にいる時間が誰よりも多くなった。
そんなある時、蝶書房気付けで誠司宛てに手紙が届いた。サム・アンド・マリーもボトム通信も編集後記があって全編集部員が一言ずつ何かを書くことになっており、誠司も既に両方の雑誌発行を1冊ずつ経験した。しかし其処には誠司なら誠とだけ書き、礼子ならRとだけしか書いてないので、フルネームで手紙が来たのは単なる読者ではあり得ない。差出人の名前は無いが、封筒や文字の雰囲気が女性らしくて、開けてみると峰村亜美という女性からだった。亜美という名前は隷女亜美という入れ墨のしてあった女性しか思いつかない。
読んでみると、日付と時間だけが書かれてあり、東京駅の以前お会いした場所に1人で来て下さいとしか書いていない。消印を見ると京都になっていた。あの女性は京都から来たのか、するとやはりあの男は京都の何処かの老舗の跡継ぎという感じがいよいよぴったりしてくる。自分の推測が当たっていたような気がして気分が良かったが、この手紙の処理はどうしようかと悩んだ。しかしその内自分の悩みが馬鹿馬鹿しいものであることに気付いた。
亜美が言った「もう1度会える?」「又やりましょうよ」という言葉が強く頭に残っていたものだから亜美の手紙を見て「ほら来た」と思ってしまったのだが、ちょっと考えたら自分は舞い上がっているのだと恥ずかしくなった。この間撮影して雑誌には載らなかった写真が欲しいというだけなのかも知れないし、或いは又男と2人で行くから取材して欲しいというのかも知れない。亜美は1人で来るとは書いていないのである。いずれにしてもこのことは誰にも言わない方が良いと思った。真面目に答えてくれそうな者はいないし、冷やかされるのが落ちである。取材ということになるのならなおさら今は一人でやらなくてはならない。
近頃ではカメラを持ち歩くのが習慣になっていたから亜美の指定する日時に東京駅に行った時も勿論カメラを携えていたが、この頃は写真を撮ることに前のような熱意が湧かなくなってしまった。誠司は、ボトム通信だけでなくサム・アンド・マリーも随分遡って見たが、SM雑誌の写真について考えが変わってきていた。SMプレイの写真というものは何と言っても日常的に眼にする物ではないからインパクトが強いのは確かなのだが、お金を出して実際に雑誌を買ってくれる読者にとっては写真は結局記事の添え物に過ぎないのでは無いだろうかと思い始めたのである。立ち読みをきっかけに初めて雑誌を購入するような人にとっては写真は衝撃的な役割を果たすだろうが、既にSMにのめりこんでSM誌を良く買うような人に取ってはグラビア写真の役割はそれ程大きくないのではないだろうか。何故なら5年前のA男・B女のプレイ写真と先月号のC男・D女のプレイ写真を比較しても特に何処と言って大きく変わる訳ではないのである。
所詮SMプレイも人間のやることだから、考えられるようなことは大昔にやり尽くされているのだと言っても良い。原点に返ってマルキ・ド・サドのファニー・ヒルを読んでみたりもしたが、浣腸もムチ打ちも既にその頃からあった。隷女亜美と男のプレイは今までに見た中では特に面白いものの中に入ると思うが、それは珍しいことをやったから面白かった訳ではない。やはり熱の入ったプレイだから面白かったのだと思う。とすれば雑誌の記事だって変わったプレイを紹介するよりも熱の入ったプレイを如何にそのまま読者に伝えられるかという事が重要なのではないだろうか。
それには写真だけではなくてやはり文章の力にも頼らなくてはいけないのである。第三者である記者の目を通してSMプレイの実況中継のような書き方が相応しい場合もあれば、当事者本人のSMプレイ体験談のような語り口で書く方が相応しい場合もあるだろう。それも女の立場から書く場合と男の立場から書く場合があり得る。誠司はこの頃そんなことを考え始めていた。だから誠司はプレイを見ることよりも近頃ではプレイをする人からいろいろ話を聞く時間を出来る限り増やすようにしていたのである。