君と僕との狂騒曲-7
理由は明白で単純なこと。君に科せられた十字架は重度のエディプス・コンプレックスだった。一度だけ君のお父さんに会ったとき、本能や衝動で生きてきた僕にはすぐわかった。とんでもない高いハードルだ。
君はそのハードルを超えようとした。そのアイテムが僕だったのだ。ある意味、君の成長は健全だったってこと。
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僕がボーイスカウト以外で君と付き合うようになったのは、君と一緒に図書館へ行くことだった。 なにしろ僕は自宅と学校と美術研究所、ある秘密の部屋とボーイスカウト以外では、ほとんど図書館で暮らしていたからね。
繰り返すけど、僕らが育った街は大企業とマンモス団地で、ことさらに豊かだった。そして市長は大の読書家であり、タケノコのように図書館が次々と建っていった。しかも「移動図書館」というバスまで何台も作って図書館から離れた地域を巡回していた。多分、当時日本最大の図書の街だ。
君は僕に連れられて、君の家からほんの200メートルほど離れた所にある図書館のひとつに行った。君とボーイスカウトという共有した経験と事実で、君を僕のフィールドに誘い込むためにそんなに時間はいらない。それに、僕には人を寄せ付ける吸引力があった。簡単に言ってしまえば「珍しい生き物」なんだけど。
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君と行った図書館は小さな所だけど、なかなか趣味がいい所だ。
特にミステリーやSFの早川のイエローページがほとんど全部揃っていた。創元推理も、ハヤカワのSF全集も全部。僕はどれも涎垂らして全部読み、しかも気に入ったものは二回以上読んでいた。もちろん日本の純文学も大抵は読み終わっているどころではなく、密かに「岩波文庫完全踏破」をやっていた。僕の乱読には果てが無く、中国の古典から近代の魯迅、露西亜・仏蘭西・米国、特に英国の豊かな文学に心酔していた。
君にとっては「読書感想文」を書くための資料でしかなかった文学は、僕の凄まじい熱によってゆっくりと溶けてゆく。
君は珍しく眉をひそめて何か考えるように立ちつくしていた。
「どうかしたの?何か探しているの?」
「いや」
君は天井を見てから僕に視線を移した。
「何を探せばいいのかってことを考えているんだ」
読書でも、切手のコレクションでも、ワインのスペシャリストでも、そういった率直な意見にはある種の感銘を受ける。僕だって背筋がざわめいたもの。
だからといって、なんでもかんでも詰め込んじゃ駄目。宗教だって思想だって、もちろん読書だって、小さなきっかけが必要なのを僕は知っていた。
だから、レイ・ブラッドベリの「十月はたそがれの国」(創元社刊・ハヤカワでは「黒いカーニヴァル)一冊だけお薦めにした。その小さな文庫本はヨゼフ・ムニャイニという不思議な画家の挿し絵が入っている。毒のある、奇妙で悪魔的な魅力に満ちた短編で構成された作品集だ。しかもそのほとんどを僕は暗記していた。
友人を本の愛好者にしたいなら、巧妙に、じっくりと時間をかけて誘惑しなければならない。僕はメフィストか?みたいな後味の悪い気持ちがこみあげて来た。それと、罠を仕掛けた猟師のような心のざわめきも。
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翌日の朝、学校で会った君はちょっと寝ぼけたような顔をしていた。
「なあ、けんぴ」
「なあに?」
風騒ぐ心象風景を心に抱きながら僕は聞いた。
「ブラッドベリの本は他にもあるの?」
実に残念な事だけど、君は僕の罠に簡単につかまってしまった。もっと時間がかかれば、胸の昂まりがもっと続いただろうに。僕らは放課後、また一番近い図書館へ行くことにした。もし君がこの小さな図書館で好きな本が見つからなくなっても、十倍以上の規模がある中央図書館まで、自転車で5分もあれば辿り着ける。
「それはそれは、たくさんね。」
僕は悪戯っぽく笑えた、と思う。君はちょっと気恥ずかしそうに
「今後に期待する」と言ってそっぽを向いた。
翌日君は「華氏451度」を借り、次の日には「刺青の男」、その翌日には「何かが道をやって来る」を読了した。
君がどんどんブラッドベリの魔力に取り憑かれてゆく。本の世界に魅了されて、そっちに行った人は表情が平坦になる。君はまさにその状態だ。それに、「同じ本を読んだ」という事は、人生をひとつ共有したという事だ。言い方を変えれば、秘密を共有したということ。(まさにブラッドベリならそれに相応しい)
メニューは僕の見立て。ブラッドベリにだって駄作はある。それ以上に、かなり取り憑かれない限り手を出してはいけないものもある。いきなり「火星年代記」なんて読んだら混乱する。次は「メランコリイの妙薬」で行こうと僕は決めた。