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君と僕との狂騒曲
【ショタ 官能小説】

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君と僕との狂騒曲-6


 その理由は後に明かされる。先生たちが僕の勝手な授業態度を許すだけの事情があったという事。スーツを着た役人が僕に面接を求めてからね。
 まあそんなことは気にもとめないで、僕は小学校の時以上に本を読み、デッサンを学び、絵を描いた。たまには秘密の部屋に通ってね。
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 同じクラスという事もあり、君と僕の距離はゆっくりと穏やかに縮まってきた。君はとても理性的かつ現実的な人間だったので、人と急速に接近するなんて事は、ある種君の一家の「家訓」に反するものだったのかも知れないね。だから友人もそう多くはなかった。少ないとも言えないが、ほとんど、あるいは全部「知り合い」の域から脱してはいなかった。君の氷のようなバリアーは、そう簡単に人を寄せ付けはしなかったからね。

 君はその麗しい外見からは想像できないようなシニカルな物言いをし、皮肉な毒舌家だった。 その冷たいほどの冷静沈着な態度はどこか気高く、悪ぶっているやつやひねくれたガキも優等生も色男も、誰もが彼に一目置いた。いつも静かなくせに、自分に火の粉が降りかかった時は信じられない程の毒を饒舌に乗せてマシンガンのように相手を黒焦げにした。
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 ところでここから先、どうしても君の名前と僕の名前を証さねばならない。君は「マキ」。僕は「ケンピ」。君の事を実際に「マキ」と呼ぶ奴はほとんどいなかったし、僕も君のことをそんな風に呼ぶことは稀だった。でもこの文章が綴られた結果、明らかにオープンになるし、君を隠しておきたい僕としては「マキ」で通すつもりだ。僕はカナダでもスペインでもイラクでも、知っている人にならどこでも「ケンピ」で通用する。僕の本名は発音しづらいから、自然とそうなったんだけど。

 さて、僕は中学一年で早くも「学校で一番絵の上手い奴」って看板が出来てしまったし、親から頂いた美しい歌声を持っていた。嘘を書いてもしょうがないから書くが、結構いけてるくちだった。ラブレターも貰ったし、恋の橋渡しみたいな事で相談に来る女の子もいた。上級生に「俺の妹をよろしくな」なんて言われて困ったこともあった。

 暴力的にも「けんぴを怒らせると怖い」というありがたい肩書きがあった。こんな細い身体で、しかも運動部にも入っていないどこから見ても軟弱な男が、本気になるととんでもない力を出すことに軽い敬意を払ったようだ。

 今でこそ「キレる」という言葉があるが、僕はまさに「キレ」る人間であり、瞬間的に何もかも見えなくなって能力以上の行動をする。重くてでかい教壇を持ち上げて5メートルぐらい離れた野郎に投げつけた事があり、それはたちまち評判になって、思春期の少年少女のかたまりだった中学校では火に油を注ぐように、半日かそこらで誰もが知っている「秘密の話」になる。不思議だね。

「暴力」という超能力は、やっぱりボーイスカウトが培った物だと思う。先輩のうち二人は少林寺拳法の選手だったし喧嘩っ早かったけど、暴力には根性が必至である事を教えてくれた。正しい暴力は紳士の嗜みだ。
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 僕が大変な読書家であったことは何回も書いているけど、その頃僕が夢中だったのはアンドレ・ブルトンを筆頭にしたシュール・レアリスム、それにフロイトとユングにライヒといった心理学、ニーチェやカフカ、ボードレールにランボーなんかの不条理や耽美的な文学、そして大量のSFと主にイギリスのファンタジーだった。

 前述したように、これだけのマンモス校にもなればどうしても変人が発生するので、SF愛好家には結構出会えることが出来た。しかし、SFと一言で言ってもその世界は膨大で、派閥に分かれることになるが、とにかく僕は読書量の桁が違うので、誰とでも話すことが出来た。アジモフやクラークといった正統派、ブラウンのようなユーモア派、ウエルズやヴェルヌのような古典派、スミスやハインラインといった活劇派、それぞれの小さなコミューンを僕は自由に渡り歩いた。

 そんな具合で、彼らの話を同等もしくはそれ以上に話す僕を、君はどこか羨んだのかも知れない。少年という物は大体全部「好奇心」で出来ているから。自然に君はだんだん僕が身に纏ったそれらの毒に侵されていった。


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