Story〜夕焼けと2人の高校生〜-1
「朝月君。ここはこれで良いですか?」
「違う違う!そこは右辺を全部左辺に移項するの!」
「あぁ、なるほど。…で、その後はどうするんですか?」
「あぁ、もう!今度は両辺を二乗すんの!何で分かってくんないかなぁ…」
夕焼けのさす教室内。朝月 里紅<あさつき りく・男>は色々な事にイライラしていた。
その『色々な事』は3つある。
1つ目は読んで分かるように、勉強を教えている相手が内容を全く理解しないためである。先程から20分以上続けているが、里紅の台詞の大半は「違う!」であった。
2つ目はこの学校についてである。この学校、菖蒲<あやめ>高校に入学して1年以上がたったが、未だにこの学校は衰退化の一途を辿っている。里紅が入学した時は『進学校』と呼ばれていたが、いまではその面影は微塵も感じられない。過半数の教師の適当な授業と、過半数の生徒のやる気の無い態度がそれを物語っている。
そして3つ目は、先程からこの光景を眺めたまま、全く手助けをしてくれない1人の親友に対してである。
「なぁ…。黄依も手伝ってくれよ…。」
「ムリ。そいつに何教えても分かってもらえない。私も教えようとしたけど10分で諦めた。」
稲荷 黄依<とうか きい・女>は呟いた。髪の毛をワックスで立てている里紅とは反対に、背中の中程まである艶やかな黒髪をそのまま伸ばしている。黄依は成績は良く、顔は色白でクラス内では1位2位を争う美人だが、性格と口調のせいか、親友は里紅唯一人。それに引き替え里紅は、明るい性格のお陰で友達は2〜3人いる。これでも多い方だ。
「酷いですねぇ、稲荷さん。そんな事言うなんて。」
里紅に勉強を教えてもらっていた人物、八月一日 青治<ほづみ せいじ・男>は、いつもの敬語口調で応えた。いつも笑顔の青治は、クラスメート曰く『何を考えているのかは分からないが、何も分かっていない事は分かっている』らしい。ちなみに青治はメガネをかけていて、授業の5分前には席についている、いわゆる『真面目くん』なのだが、バカ、そういう悲しい奴である。
「だって本当のことじゃん。あんたもっと理解力つけた方が良いよ。この先のこと考えて。」
黄依は何もなかったかの様に、今まで読んでいた本の続きを読み始めた。
「まぁ、そう言うなって黄依。こいつだって悩んでるんだからさ。」
里紅が青治をかばう様に言う。
「嘘。そいつから悩んでますオーラが全く感じられない。それに里紅、あんたさっきまでそいつに怒ってなかった?全く…、あんたのそのすぐに味方にまわろうとする性格、直した方が良いよ?」
相変わらず本を読みながら、黄依は言った。
「違う違う。皆の為にガンバる性格と言ってくれ。っていうかこんな事してる間に皆帰っちゃったし。俺達も帰るか?」
里紅は教室内を見渡しながら言った。相変わらず壁には『夜露死苦』や『相合い傘』の様な、いつ書かれたのか分からないような落書きが書いてある。
「はい。そうしましょう。もう6時12分ですしね。今日はありがとうございました。わざわざ付き合ってもらって。」
「いいって、いいって。俺達の仲だろ?」
「良くない、っていうかあんたらってどんな仲よ。」 黄依は既に、読んでいた本を鞄にしまっていた。
「それに感謝してんならなんか奢るとか態度で示してよね。」
黄依のあまりの理不尽さに里紅は、(なんだこいつの猿山のボス猿的発言は…)と思ったが、口にしないことにした。口にした途端黄依の『本の角攻撃』に襲われそうだったからだ。
「なんか言った?里紅」
「いえいえ。何も言ってません。」ふぅ。危ない危ない…
「それじゃあコーヒーでも奢りましょうか?でも今日はもう遅いんで明日にしましょう。丁度明日は土曜日で学校は休みですし。どうでしょう?」
青治はリュックに教科書諸々を入れ、帰る準備をする。
「おっ、良いね。家の近くに美味しいコーヒーを出す店があるんだけど、そこで良いよな。二人とも」
立ち上がり、何も入っていない鞄(弁当箱は例外)を肩に掛けながら、里紅は黄依と青治に尋ねた。
「別にどこでもいいわよ。タダでコーヒーが飲めれば。」
「僕も良いですよ。喫茶店『MILD』ですね。前に行ったことがあるので場所は分かります。」
「よし。それじゃあ決まりだな。」
満足した顔で里紅は言った。
「決まったんだったらさっさと帰るわよ。」
相変わらずの口調で黄依は言った。
「そういえば里紅、部活は?」
「今日も無し。最近のテニス部は顧問と3年生のやる気が無い。」
里紅は無表情で応えた。
「ふぅん、そうなんだ。ま、私には全っ然関係無いけど」
黄依は鞄を持ち、スタスタと教室から出ていこうとする。
「あっ、待てよ黄依!」
里紅と青治は黄依を追い掛けるように教室から出ていった。