狂気-1
カタン。
スポットライトが一斉に消え、蛍光灯が点いて部屋全体が明るくなった。
見上げると、天井には格子状に黒いバーが張り巡らせてあり、縄を吊るす滑車、スポットライト、そしてカメラがいくつもぶら下がっていた。
「究極の寝取り、もう一つの仕掛けがこれだ。ライヴ鑑賞。録画じゃなくてな。」
「…ばかばかしい。どうせなら同じ部屋の中で見なさいよ。」
「それじゃ寝取られてる感がないだろ?公認になってしまう。」
「公認どころか張本人じゃない!」
「まあ、そうだな。でも、他にもカメラを通す利点がある。」
「録画も出来る。そして後で一人でお楽しみというわけね。」
「それもある。」
「まだあるんですか?」
「カメラと言っても色々だ。普通の光学式の他に、サーモグラフ・カメラも吊るしてある。」
「サーモ…温度なんか見てどうするんですか。」
「分かるんだよ、今、体のどこが熱くなってるのか。つまり?」
「…興奮状態が丸見えになってしまう。」
「正解。イヤだ、やめて、と言いながら欲情してるのがバレバレ。」
「卑怯な。」
「ついでに言うと、ガンマイクも仕込んである。君のその部分が縄と擦れ合う湿った音がバッチリ聞こえたはずだ。」
「そんなものまで…」
「さらにもう一つカメラを通す理由があるんだが…。」
私は伊巻先輩を睨んだ。
「分かった、言うよ。聞かない方がいいような気もするけど。ネット生配信。」
「なん…ですって!?」
「およそ十万人の会員が、今まさに世界中で君の痴態を見ている。」
おそらく私は顔面蒼白だ。血の気が引く音が聞こえた気がする。
「…それ、幸雄さんは。」
「俺はとめたんだけどね。いくらなんでも自分の妻が寝取られて乱れてるところを他人に見せるのはどうなんだ、って。だけど、どうしてもやりたいって言うんだ。どこの誰とも分からない連中に自分の妻の背徳の恥態を見られてしまう…それを妄想すると、最高に興奮するんだ、ってね。それに…」
「それに?」
「いや…」
ポロローン。
先輩がスマホを見た。
「マジか…。」
「なんですか。」
「…。」
「先輩!」
「あ、うん…。」
様子がおかしい。スマホをひったくった。
「あ、こら。」
画面のメッセージは。
― 写真を送ったのが僕だって、教えてやって ―
「どういうことよ!幸雄さん。」
私は天井に向かって怒鳴った。
「…俺から説明するよ。」
「先輩?」
彼は一つため息をついてから話し始めた。
「当初の予定では、君がこの部屋に来た時点ですぐに責め落とことになってたんだ。呼び出しに応じてここに来たってことは、もう心も体も準備完了ということだからね。でも…俺は迷ってた。いくらそれが今の自分の仕事でも、依頼主が親友でも…俺の初めての人なんだぞ、直香、君は。」
「な、何を今更…」
「そう、今更さ。それでも、幸雄さんはともかく、録画したり生配信したり…。そんなことの餌食にしたくなかった。だから、この前はあんなことになっちゃったけど忘れようね、で終わらせようとしたんだ。ところが、ご依頼主様からメッセージが来た。二個前のやつ。」
メッセージをたぐった。
― 写真は僕が送った。 ―
「意図は明白さ。後戻りできないようにクギを刺しておいたんだよ、幸雄さんは。あの写真は、君の罪悪感を煽るだけでなく、俺へのメッセージでもあったというわけだ。」
「それで先輩、あの時急に態度が変わったんですね。」
「そう。やめれば裏の世界の会員のオカズにされずに済むかわりに、表の世界で晒される。」
「…実被害の小さい方を選択してくれた、ということですか。」
「すまない。それが今の僕の限界なんだ。」
「電マでさっさとイけ、と言ったのも?」
「ああ。あっけなくイってしまえばシラケるからな。うまくいけばそこで終われる。」
「でも、私は頑張ってしまった。」
「当然だよ、それが君の正解だ。」
私は一つ大きく頷き、ベッドに上がった。
「ねえ、幸雄さん。続きを見たくない?」
先輩はポカンと口を開き、目を丸くして私を見ている。
「な、直香、君は何を言ってるんだ!?」
「伊巻先輩も。なんだかんだ言ったって、私をたぶらかして貶め、見世物にしたじゃない。」
「それは…」
「いいの?私は敵よ。寝取られて先輩を裏切った女たちと同類。体の疼きに負けて、まんまと寝取られた女。憎くないの?」
「だって、騙されて…」
「きちんと別れも告げずに新しい恋人を作って同棲して結婚した。あなたは想い続けていてくれたのに。」
「…それはすれ違いだよ。」
「ああそう、すれ違いで済ませるんだ。ふうん、私はその程度の女だったのね。幸雄さんを選んで正解。歪んでるとはいえ愛してくれてる。ヘンタイでもヘタレよりはマシだわ。」
「なにを!」
ガシャァン。
先輩は立ち上がり、手に持っていたコーヒーカップを壁に投げつけた。それは一瞬で粉々になった。