究極の-1
「…何から話そうか。」
ウィイイイイン。
伊巻先輩は、私を吊るしている縄を全て緩めた。そして、ベッドに降りた私の、手と膝を縛っている縄をほどき、乳首のクリップを外してタオルケットを掛けてくれた。私はベッドの縁に座り直し、先輩は小さなスツールを持ってきて腰かけ、向かい合った。
「俺、卒業してからもずっと君が好きだった。」
「え…。でも連絡をくれなくなったじゃないですか。」
「ちゃんと迎えに行こうと思ったんだよ。就職して一人で暮らして、経済的にも精神的にも自立して、一人前の社会人としてあらためて君に交際を申し込もうと思ってさ。」
「先輩…。」
「でも、間に合わなかった。君にはすぐに立派な恋人が出来たし、俺はいつまでも定職に就けずに実家暮らしのバイト生活。」
「そうだったんですか…。もう私の事は必要じゃなくなったんだと思ってました。」
先輩は小さく笑った。
「今なら分かるよ。面子だプライドだ言ってないで、なりふり構わず君を抱きしめるべきだったんだと。でも、もう遅いんだ…。」
彼は唇を固く結んで俯いた。
「でね、気持ちを切り替えなきゃと思って他の女の子と付き合い始めたのさ。でも、裏切られた。あんなに愛してくれてたのに、他の男に寝取られた。俺はヘタクソすぎて満足出来なかったんだとさ。もう、その男の与えてくれる快感が忘れられない、って言われた。」
「ひどい…。」
「おいおい、君が言うか、それを。」
「あ…」
「ごめん。君をそうさせたのは俺だ。」
「いえ、あの…」
「それからも何人か付き合った。でも、ことごとく寝取られた。理由は同じ。そんなにヘタだったかな、俺。」
「えっと…」
「いい。答えなくていい。分かってるから。」
「あ、うん…。」
私もさっき、随分酷いことを言ってしまった。ヘタだ、痛いだけ、気持ち悪い、なんて。
「そんな生活が何年か続いたころ、何人目かに付き合った女から、僕は真実を聞かされたんだ。五歳年上で、猫の巨大な立体プリントの白いジャージがよく似合う、青野アスタって名前の陽気なお姉さん。彼女、寝取り屋のメンバーだった。」
「ね、寝取り屋?」
先輩は席を立ち、部屋の隅のコーヒードリッパーから二杯注いできて、一つを私に渡した。
「夫や恋人の居る女が欲情に溺れて彼らを裏切り、他の男に体を許して快楽に乱れ狂う様を見るのが好き、という性癖を持った連中が居るんだ、この世の中には。」
「な、なんですか、それは。」
「居るんだよ、事実として。」
「あー、はい。」
「居るの!」
先輩はなんだかムキになっている。
「わ、分かりました。居ますね。」
「うん、居る。だから、そういうご趣味をお持ちになったお客さまにご満足いただけるよう、寝取りを仕掛けて一部始終をご覧いただく。それが寝取り屋。」
「…もしかして、先輩は。」
「そう。カモにされてたんだ、寝取り屋の。」
「ひどい目に合ったんですね…。」
「おいおい、君がそれを…」
「え?」
「あー、まあそれはひとまず置いといて。」
「はあ。」
「俺ってさ、自分では言いにくいけど…結構イケてるらしいんだよ、青野アスタさんによると。」
「ああ、それ分かりますよ。大きくて力強い体に優しそうな顔、そして穏やかで誠実な人柄。私だってそれで…」
「そ、そうか。」
「ええ。」
頬を緩めて喜んでる。なんて素直な。元々こういう人なのだ。
「あ、でね。簡単に言うと、まず僕に女の子を誘導して恋人同士にする。それを寝取って一丁上がり。そんなこと、知る由もなかった僕は寂しさを埋めるためにまた別の恋人を作り…以下、繰り返し、というわけさ。」
「やらせ?」
「に近いよね。でも、僕も女の子たちも全く知らないうちに仕組まれていたんだ。だから、寝取られた事実だけを見れば本物と言える。」
「それを、その…青野さんに教えてもらったんですね。」
「そう。あなたは女にモテるのを利用され、寝取りを養殖する為の憑代にされてる、って。」
「よ、養殖…」
「モテるけどヘタクソだから、寝取りやすい、とも言われた。」
先輩…可哀想すぎる。
「その事実を知らせたうえで彼女は言った。寝取る側になってみないか、と。」
「スカウトですか。」
「そう。でも断った。」
「まあ、そうでしょうね、普通の感覚なら。自分と同じ悲しみをバラ撒けと言われてるんですから。」
先輩はゆっくりと大きく頷いた。
「でも結局僕は参加を決めた。ある出来事をきっかけに。」
彼は手にしたコーヒーカップを口に運び、傾けた。
「…何かよっぽどのことがあったんですね、優しい伊巻先輩にそんな選択をさせてしまうなんて。」
私も一口コーヒーを飲んだ。
「ん?」
「何?」
「あ、ああ、いえいえ。」
意外なほどにコーヒーが美味しかったので、一瞬、現実を忘れてかけてしまった。モカやキリマンジャロなどのメジャーな豆じゃない。ハワイのコナとも違う。いったいどこの何という…。
「同棲だよ、君の。」
ふっ、と彼は笑った。
「は?」
私は一気に現実に引き戻された。
「会社の先輩と同棲を始めただろ?杉本さん。」
「わ、私!?」
それ以上言葉が出なかった。