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疼きに喰い込む赤い縄
【その他 官能小説】

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深夜の展望台-1

 「なんかちょっと雰囲気変わりましたね。」
 「そう?俺自身は何も変わってないつもりなんだけどなあ。」
 先輩は私と話しながらもしっかりと周囲への視線を巡らせている。隣に座っていて安心の出来る運転だ。煽らず遅れず、しなやかに流れに乗り、ほとんど体を揺すられない穏やかな車内。車の基本である、走る曲がる止まるの全てが滑らかさと優しさに満ちている。こういう所は私の知っている先輩のイメージと全然変わっていない。
 夫の幸雄さんも同様の運転をする。乱暴なことは一切しない。大嫌いなミニバンに煽られても割り込まれても、「危ないなあ」と笑っている。快適そのものの助手席は、私のお気に入りシートだ。
 幸雄さんの運転する車に初めて乗った時、私は衝撃を受けた。何せ母の運転が…。出かける度に私は嘔吐か失神。よく妹に爆笑されたものだ。そんな文香ももう人妻になってしまった。友人たちに姫、と呼ばれ、可愛がられていたあの子が人妻かあ。うまくやってるのかなあ。
 「例えばどんなとこ?」
 先輩の質問に、我に返った。
 自分は変わってないと言いつつ、気にはなるようだ。
 「例えば…そうですね、この車。随分大きくて重そうですけど、あの頃は小さくて軽いのに乗りたいってずっと言ってましたよね?写真を見せてくれたり。あれ、先輩に似合うと思ったんだけどなあ。」
 「ああ、ロータス・エリーゼね。乗ってるよ、プライベートでは。この車は仕事用。」
 「やっぱり乗ってるんだ。」
 私はちょっと嬉しくなった。
 「でも極端ですね、先輩。こんなに大きなのにも乗って。」
 彼は私の方を見ずに口元だけフっ、と笑った。
 「大きいのが必要になったんだよ。小さい車はナメられるし。」
 「車の大きさでナメられたりしないんじゃないですか?」
 「僕もそう思ってた。」
 こんなに大きくてワルっぽい車に一人で乗ってるなんて、虚勢を張ってる感じがしますよ、と言いかけたが飲み込んだ。代わりに、少しぼかした表現をした。
 「なんだか…ワイルドになりましたね。」
 彼は私の意図に気付かなかったのか、苦笑いしながらこう答えた。
 「おいおい、あれから十年だぞ?それなりにいろんな経験をしたからね。オトコが磨かれていても当然だろ。」
 磨かれた、というよりは少しだけ繊細さが損なわれてしまったように感じる。夫の幸雄さんが大嫌いなミニバンに乗っているから、というのも関係あるかもしれない。でも、私はそれ以上個人の価値観に踏み込むことはやめておいた。
 「髪、長くなりましたね。運動部みたいなショートだったのに。」
 「君だって、いかにも十代後半の少女、って感じだったのに、随分大人っぽい髪型になってるじゃないか。」
 フロントガラス越しの二人の視線の先には雲一つない夜空が広がっている。しかし、星はほとんど見えない。
 「お互いに制服以外の姿を見ることは殆どなかったけど、何というか…。」
 「ダッサダサ?」
 「そう。」
 二人は同時に爆笑した。
 「先輩はサイズの合ってない銀縁メガネが汗で曇ってたし。」
 「君はヘンテコリンなカチューシャをしてて。」
 「ヘ、ヘンテコ…そんなこと思ってたんですかあ?ショックだなあ、あれお気に入りだったのに。」
 「あ、ごめん、似合ってたよ。」
 「ヘンテコリンが似合ってた、と?」
 「あー、いやいや…そういう意味じゃ…」
 「先輩なんかスニーカーの紐の編み方が左右で揃ってなかったくせに。」
 「それがカッコイイと思ってたんだよ、あの頃は。」
 グォオオォ…。
 猛スピードのシルバーの高級車が爆音を響かせながらすれ違った。高級車ではなくて高額車だよあんなのは、と幸雄さんはいつも言う。
 「あの頃…か。十年ですもんね、あれから。正確にはまだ二ヵ月ほど先ですけど。」
 「え、覚えてるんだ、日付を。」
 「当り前じゃないですか。だって…あんなことがあったんですよ。」
 「そうだなあ…。」
 先輩は少し遠い目をしたが、運転への集中は怠らない。
 「綺麗になったよなあ、杉本さん。あの頃も可愛い女の子だったけど、今は大人の女性としての魅力をすごく感じるよ。」
 「な、なに言ってるんですか。ナンパならムダですよ、私はもう…」
 左手を軽く上げた。先輩は私の薬指に光るリングをチラリとだけ見た。
 「だよねえ…。あーあ、もっとしっかり捕まえときゃよかった。こんなに素敵になっちゃうんだもんなあ。」
 「もう、やめてくださいってば。」
 思わず頬が緩んだ。褒められて悪い気はしない。しかも相手は初恋の、そして初めての…。
 「今なら君をガッカリさせた理由、ちゃんと分かるし、もう寂しがらせないのに。」
 思わず彼の横顔を見た。あの頃の伊巻先輩が、微かにダブって見えた。そして、胸の奥にジクっとした痛みを感じた。
 「なんだよ。俺がオトコマエになり過ぎてて後悔してるのか?逃がすんじゃなかった、なんてね。」
 私は一瞬返事が出来なかった。
 「あれ?ホントにそうなのか?」
 先輩の口元にニヤケが浮かんだ。
 「な…違いますよ。確かに素敵な男性になったとは思いますよ?男らしいグレイのカットソーにしなやかなベージュのチノパン、履き心地の良さそうなバックスキンの靴までもがきちんとコーディネートされていて、もうダサくなんかありませんから。」
 「ダッサダサじゃなくなったんだ。」
 「ええ、とってもキマってますよ。」
 伊巻先輩の口元に自然な微笑みが浮かんだ。ああ、この穏やかな笑顔に何度ときめきを感じたことだろう。もう昔の話だが。


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