僕は14角形-50
「と、まあ、そう言うわけだ、「柊」
大島家の当主は微動だにしないで腕を組んでいる。
「天羽詩音という少年が『鳳仙花』を受け継ぐ唯一の人間だという事を何故知り得たのかは聞かぬ。しかし、貴様は『鳳仙花』を熱望した。富にも苦労せず、立派な跡継ぎを持ち、可愛い孫までおる。ここまでは儂と同じじゃ。では、なにが違う? そう、お前には失った物があるからじゃ、「柊」よ。幾多の金と力をもっても救えなかったものがな。違うか、柊」
大島家の当主が、ゆっくりと項垂れて行く。巨大な蝋燭が溶けて傾くようだ、と伊集院は思った。
「昔話をしよう。『鳳仙花』は生まれながらにして「贄」となる。それを操るのは唯一、「選ばれた巫女」なる者だけだ。現在ではただ一人、この世に存在する。「巫女」が「贄」の生命か──あるいは身体か心かを対価に、この世にあるべからぬ業を成し遂げる事が出来る。他にも馬鹿馬鹿しいたわけに随分金を使ったんじゃろうな、柊。そして草冠と大島がかつて、忌まわしい手口で「鳳仙花」と「綿星」を散々使い回した事も忘れてはならん。──本来、草冠と大島は未来永劫それを償わなくてはならん。そう決めたのは光ならぬ名を持つ、「楡」と「柊」のはずだったのだが」
庭の鹿威しが枯れた音を響かせた。向かい合う二人の老人と、立ち尽くす男と少女の耳を震わせる。
しばらくの沈黙の後に、草冠当主が再び口を開いた。
「貴様がしたかった事は「召魂」と「座敷」だ。確かに、「天羽詩音」をかばい立てする「綿星国子」を天羽の生命の脅迫でそれを成し遂げる事は出来たじゃろう。で、それで何が起こる?」
草冠は白濁した瞳を開く。
「確かに姫子はこの家で永遠にその歳で暮らすだろう。貴様が死ぬときも看取って泣いてくれるじゃろう。しかしな、その「姫子」は実はおらんのじゃ。そんなことも知らないとは言わせないぞ、柊よ。」
大島の当主が笑うような、泣くような震えに捕らわれている。伊集院はこの巨象が動くのを初めて目にした驚きに自らも震えた。
「いかな『鳳仙花』にも、あの世には手が出せん。というより、「あの世」なぞ無いのだがな。ただ、生きている人間にその幻想を夢見させることは出来る。貴様の望み通りにな。柊、貴様は望み通り可愛い孫に看取られて死んで行くのだ。それが嘘だと知っていても、自分の我が儘だと知っていても。ただ、忘れるな。そのためには一人の少女の心を壊し、へたをすると一人の少年の生命を奪う。貴様の死に際にそれだけの物を支払う力がお前にあるのか」
広大な和室の静寂は一種の拷問に似ている。草冠は見えない目で見上げ、探すように見回した。
「確か「姫乃」と言ったかの。どうじゃ。「姫子」は成仏したか」
ずっと沈黙を守っていた姫乃は、何度も躊躇いながら呟いた。
「姫子は、成仏いたしました。その、天羽詩音くんの、おかげで」
姫乃はその端正な顔から透明な雫を顎に垂らす。
「姫子が、一番好きだった人に。多分一番好きになるはずの人に愛を告げられました。姫子は今、幸福です。世界中で一番幸福です」
草冠はゆっくりと、何度も頷いた。
「もう充分じゃ。帰るぞ、伊集院」
「はい」伊集院は老人に慣れた手つきで手を貸し、車いすに乗せる。
「これ以上夢に狂わされた馬鹿に付き合うと、こっちまでおかしくなる。「柊」。どっちが先でも、お互い葬儀には顔を出すことを控えよう」
車いすは再び長い長い廊下を滑っていった。
「なかなかの名勝負でしたね」伊集院が囁く。
ふん、と、草冠は鼻を鳴らした。
「ただの、詰め将棋じゃ」
大島家の広大な庭の竹林が風に大きく揺れる音が木霊する。