僕は14角形-44
33
「びっくりしたなあ、これ、篠田のおっちゃんに言ったらなんて言うかな。とりあえず怒り狂うかな。だって、幻のゴールドだもの」
店から出て、路地を曲がった所で郁夫が言った。
「だって、叔父さんだって10年通い詰めて「カッパー」なのに、初めて行って「ゴールド」だなんて。もはやナンタケットの伝説だね。
「何か意味があるの?」僕は貰ったばかりの黄金色に輝く鯨のプレートを見る。
「そのプレートは、ナンタケットの地位とサービスを表す勲章みたいなものさ。『カッパー』で、まあ、「お前は常連だ」ぐらいかな。ツケも効くようになる。『シルバー』で飲み食い半額大歓迎」
「じゃあ、『ゴールド』はどういう意味?」
郁夫は伸びをしながら空を見上げる。
「今のところ、貰ったのは君一人だ。何も解らないけど…多分、「飲み食いタダ、いつの時間でもオッケー、プラスアルファ」
「なんだよその「プラスアルファ」って」
「だから、誰も知らないんだってば!」幾分郁夫はいらいらしたように言い捨てた。
僕は酔いも手伝って、少し郁夫にくっついて歩いた。背の高い郁夫に歩幅を合わせるのは難しい。だから、郁夫の左腕にしがみついた。逞しくて、生気が溢れる腕は、僕をしっかりとサポートした。僕は夢見心地に、なる。
でも、僕の中の誰かが囁く。(お前、何考えてんだよ)他の僕が反論する(幸せになって、いけないのかい)心の中で反響する言葉の数々に僕は混乱する。
「郁夫」僕の喉から溢れ出る震える声。
「なんだよ、詩音。飲み過ぎた?」
「ん……そうかも知れない」頬を赤らめて、僕は郁夫を見上げる。その顔はまるっきり「黒足のサンジ」そのものだったけど、どこかはにかんでいた。
「もうすぐ、表参道だからさ」僕はちょっともじもじする。
「ちょと煉瓦の塀になってくれ」
そう言って、僕は郁夫の身体に寄りかかる。郁夫はまさに正しく両手で僕を包み込む。合格だよ、郁夫。
僕たちは表参道前の路地の暗がりで、ゆったりとした時間と緊張を共有する。
僕は振り向く。そこに郁夫の顔がある。郁夫の背中側には夥しいチラシが貼られていた。あれやこれやの誘惑の言葉とアドレス、電話番号とQRコード。
郁夫の手が僕の頭の後を優しく支え、僕も顎を上に向けて、桜色の口唇をほんの少し開いた。身体の芯が震える。
郁夫の口唇は冷たかったけれど、忍び込んできた舌は溶岩みたいに熱かった。僕は飢えたように彼の舌を貪った。郁夫の舌が僕の身体を刺し貫く。なんて言う甘美、何という陶酔、獣のような欲望。
身体中から力が抜けそうになったとき、そのちらしに紛れた一枚の紙の文字が読めた。仮名釘流の乱暴でシンプルな文字。
「ほうせんか」
僕の身体中の血が逆流した。