僕は14角形-28
20
草冠いちごは、早咲きの紫陽花の切り花を胸に、洋館の本宅に歩いていた。日当たりの良いポーチの上に座った老人に歩み寄り、紫陽花をその鼻の下に捧げる。
「ん……そうか。もうそんな季節になったかの」
「綺麗よ。もうすぐお爺さまの好きな花が満開になるわ」
起伏に富んだ広大な庭には、白いハナウドとふなばらそう。坂を下りたところにご自慢の躑躅とあじさい。シャガは花が落ちたが、シランの紫がひときわ目立つ。
いちごはざっくりとした膝丈のパンツに、活動的なトレーナーを着て、祖父の隣に座り込んだ。
「眼は…見えなくなったが、こうしていると眼が見えていた時よりも世界を感じるものじゃな。可愛い孫までいる。儂は幸せ者じゃ。学校は、どうじゃ」
いちごはくすくすと無邪気に笑い、祖父の手を撫でる。
「困った事が起きたけど、大丈夫。同級生の綿星さんが上手くやってくれた」
老人の顔が極端に引き攣る。「いま、何と言った」
「同級生の綿星さんの事ですけど?彼女、とっても不思議な人なの」
老人は深い皺を刻んだまま俯く。「綿星……の、孫か。因果というものか。どんな娘じゃ」
「ん。背が凄く高くてね、細くて、いつも黒い服ばかり着ている変わった女の子よ。今は黎明学園の寮に、天羽君と一緒に住んでいる」
「間違いは…ないということか。困った事が起きた、というのは、この間の同級生か」
「そうだけど。どうしてわかるの?」
いちごは可憐な眼をしばたいて祖父を見つめる。老人は大きなため息をついた。
「歳を重ね、世間の生き馬の目を抜くような世界に60年近く生きてきた……だから、お前と大島のお嬢さんが何か不味いことをやらかしおった事ぐらい、すぐに見抜けるわ」
いちごは花柄の如雨露を取り落とし、みるみる青ざめてしまう。
「いちご。どんな手を使ってもかまわん。綿星に最大の援助をしろ。伊集院にも言っておく。もちろん、その男の同級生も」老人は椅子を着かむ手をぶるぶると震わせた。
「どうしたんですか?お爺さま」
「草冠には…償えきれないほどの借りが、綿星にあるからじゃ。」
「償うって、何を償うんですか?」
「お前は知らなくてもいいし、もちろん誰も知らない方が良い。大島にも伝えなくては。まさか…生き残っているとは。まして孫が黎明学園の同級生とは。神でも仏でも、悪ふざけにも程がある」
「もう。お爺ちゃんはそうやって時々意地悪になるんだから」
老人は白く濁った眼をいちごに向けて、僅かな涙を浮かべた。
「その綿星…名はなんという」
「綿星国子ですけど」いちごは不思議そうに祖父を見上げる。
声にならないうめき声が老人の喉から絞り出された。
「選ばれた、巫女、か」
五月の爽やかな空気に、湿り気を帯びた風が吹き始めた。